2015年6月22日 (月)

地下の賑わい

2015年6月8日~2015年6月14日放送
文化放送 制作部 齋藤拓馬

【番組概要】
有名・無名を問わず様々なタレントが各々の目的を持ち集まってくる東京のライブハウス。地下アイドル・地下芸人・地下ミュージシャン。いわゆる「地下文化」・「サブカルチャー」などと呼ばれるメジャーではない芸能活動は、どのように行われているのか。彼らが何を考えているのか。地上で生きている分にはあまり目にかからない地下の賑わいを東京都杉並区あさがやドラムからお送りします。

【制作意図】
野望を抱き大都会に集まってきた若者たちが形成する「地下文化」は今や首都東京からは切り離せない文化になっています。中には必ずしも有名になることが目的でない人もいるようで、思惑が渦巻きます。サブカルチャーにあまり触れることが無い方へ、地下という暗がりで何が行われているのか。現代の「東京といえば」。その一端をお届けできればと思います。

【制作後記】
やりたいことをやっている人たちが楽しそうであるという図。それを見ている都会人の一人称視点を感じていただければと思います。喧騒の地上から扉と階段で隔たれた賑やかな地下の世界、そこへの行き帰りを遠ざかっていく音・近づいてくる音でリアルにお伝えできていれば幸いです。

2015年6月 1日 (月)

オロロンは泣かない

2015年6月1日~2015年6月7日放送
北海道放送 ラジオ局編成業務部 榊原満

【番組概要】
札幌から車とフェリーを乗り継いで4時間、日本海の沖に浮かぶ天売島。昭和36年制作のHBCのTVドラマ「オロロンの島」の舞台にもなったこの島は、海鳥と人間が共存する世界的にも貴重な『共生の島』です。春から夏にかけて天売島では約100万羽の海鳥が集まり、子育てをします。中には絶滅危惧種のオロロン鳥や、姿は見えども声を聞く機会の少ないウトウなど、貴重なものもいます。今回はオロロン鳥をはじめとする天売島の海鳥との出会いを求めて、初春の天売島を訪ねました。

【制作意図】
天売島は国の天然記念物にも指定されている世界有数の海鳥の繁殖地です。島の代名詞オロロン鳥は昭和39年には8000羽が生息していましたが、流し網漁など漁法の変化によるエサの魚の減少、天敵の増加などで10数羽にまで激減しました。天売島を舞台にした昭和36年制作のHBCのTVドラマ「オロロンの島」には、貴重なオロロン鳥も登場します。今回はドラマにも登場したオロロン鳥を訪ねながら、ここでしか聞くことの出来ない海鳥の生態を紹介します。

【制作後記】
深夜、人気のない海鳥たちの居住区天売島の西海岸に、録音機片手に一人で取材に向かいました。あたりは灯台の明かりが時々照らすだけの真っ暗闇の世界です。待つこと30分、闇の中からバサバサバサッと羽音が聞こえてきます。その音は次第に増え、耳元をかすめたり、足元に転がったり、こちらの存在に気づくこともなく縦横無尽に飛び交います。約80万羽のウトウのコロニーの真ん中で、バードアタックの恐怖と闘いながらの取材は映画「鳥」のシーンを思い起こしました。

2015年5月25日 (月)

青空に響く鯉のぼり~語り継ぐ若者たち~

2015年5月25日~2015年5月31日放送
東北放送 ラジオ局制作部 菊池修司

【番組概要】

東日本大震災で家族を亡くした大学生・伊藤健人さん(22歳)が共同代表を務める“青い鯉のぼりプロジェクト”。毎年5月5日に全国から寄せられた青い鯉のぼりを、心地よい音楽と共に青空になびかせています。今では復興のシンボルとして多くの親子連れでにぎわうこの日ですが、きっかけは青い鯉のぼりが大好きだったという伊藤さんの弟・律君(当時5歳)への真っ直ぐな想いだけでした。そして集まってきたのは様々な支援を申し出る仲間たち。その中で鯉のぼりの修繕と洗濯を手掛けたいと手を挙げたのは、意外にも県をまたいだ、山形西高校の生徒たちでした。これからの時代を担う若い世代、けれども面識もない若者たち。彼らはそこでどんなことを語り、どんな関係を築いていくのでしょうか。

【制作意図】
戦後70年の今年、その記憶を伝える方の多くが80代です。そんな“語りべ”の先輩方の戦争体験は10代の頃に遡ります。一方で今の10~20代の若者たちは震災を体験しました。その記憶を後世に長く伝えていく、彼らにはそんな役割が託されることになるでしょう。青い鯉のぼりプロジェクトに挑む若者たちにスポットを当て、その想いに迫りました。

【制作後記】
“青い鯉のぼりプロジェクト”の共同代表を務める大学生・伊藤健人さん。震災で辛い体験をした彼は「忘れないことも大事だけど忘れなきゃやってられない」と言いました。“代表”とはいうもののそこは普通の大学生、音楽が好きだし、みんなと笑い合うのが楽しい年頃です。そんな若者たちが、彼らなりの全力で生きている姿を通して「世の中捨てたものじゃない!」と感じていただけたら幸いです。



2015年5月22日 (金)

うちん馬はシャンシャン馬!

2015年5月18日~2015年5月24日放送
宮崎放送 ラジオ局ラジオ部 日髙 千明

【番組概要】
「鵜戸さん参りは 春三月よ 参る その日が ご縁日」シャンシャン馬道中唄の一節です。宮崎では江戸時代から大正時代まで結婚すると日南市の鵜戸神宮にお参りをする風習がありました。帰りは美しく飾った馬に花嫁を乗せて、花婿が手綱を引いて家路へと帰ります。馬に付けた鈴がシャンシャンと鳴る事から「シャンシャン馬」と呼んでいます。現在はその風習はなくなりましたが、結婚式で再現する夫婦や行事が残っています。今回は、馬を養って60年以上、馬主の妻木国志さん74歳をご紹介します。妻木さんの宮崎弁と軽やかな鈴の音は必聴です。

【制作意図】
宮崎女性の憧れシャンシャン馬。花嫁さんにケガをさせたらいけないという責任の元に毎日馬の調教をする妻木さん。シャンシャン馬道中が無事に行なえるのも妻木さんの頑張り、そんな妻木さんを多くの方に知っていただきたいと思い制作しました。

【制作後記】
昔は沢山いたシャンシャン馬の馬主も現在は妻木さんだけになりました。始めは、シャンシャン馬の伝統を守り後世に受け継ぐ思いを描こうと考えていましたが、取材するうちに、自分の馬がシャンシャン馬としてみんなに見てもらえる喜びが妻木さんの原動力なんだと思いました。シャンシャン馬の馬主としての自信と誇り。まさに「うちん馬はシャンシャン馬!」なんだと!!今年の秋には宮崎神宮の御神幸祭にシャンシャン馬が登場します。ぜひシャンシャン馬を見に来てください。

踊屋台が紡ぐ未来

2015年5月11日~2015年5月17日放送
ラジオ福島  編成局 放送制作センター 大槻 幹郎

【番組概要】
昨年の秋に約半世紀ぶりに復活した福島市唯一の踊屋台。4月初めに福島市で開かれた山車フェスタに参加し注目をあびました。自身が小学生の時に踊屋を引き回した踊屋台伝承会の高倉さんの声を通して復活の経緯や思いを伺うとともに、実際に山車フェスタで踊った「伝統未来文化研究会」の子どもたちの声をお届けします。

【制作意図】
福島県はいうまでもなく東京電力福島第一原子力発電所の事故により特別な環境にあります。復興に向けて様々な活動が行われている中で復興のシンボルの一つとして歴史のある踊屋台を全国各地の皆さんに知ってほしいと考えるとともに、福島の未来をつくるこども達のふるさと、伝統への思いを伝えたいと思い今回の内容を企画しました。

【制作後記】
なかなか関わる人々すべての思いを伝えることができず、(特に踊屋台に親子三代で関わっている福島市の宮大工の方を紹介したかったのですが) 心残りの部分が正直ありますが、フェスタでの熱気やこども達、踊屋台伝承会の皆さんの思いを感じていただければと思います。

急こう配を駆けあがれ 高野山への登山鉄道

2015年5月4日~2015年5月10日放送
和歌山放送  報道制作局 報道制作部 花井歩高

【番組概要】
弘法大師・空海が開いた高野山は今年で開創1200年。木立に囲まれた標高およそ900メートルの霊場に向かう南海高野線は、急こう配とカーブが続く全国有数の登山鉄道のひとつ。新緑に囲まれた春の沿線風景を音で表現する。

【制作意図】
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」登録から10周年を迎えた和歌山県高野町高野山。世界的な旅行雑誌「NATIONAL GEOGRAPHIC TRAVELER」が「2015年に訪れるべき場所 世界のベスト20」に日本でただ一つ、この地を選んだという。去年1年間の和歌山県への外国人宿泊客数が初めて30万人を突破し、欧米からの旅行客の7割が高野町で宿泊したそうだ。古都の京都や奈良にはない「何もないところ」が人気を集める要因のひとつと分析する人もいる。今回取材した南海高野線は大阪のベッドタウンとして沿線は発展し、府県境の橋本市までは通勤通学客で混雑するが、この先は様相が一変する。紀ノ川を渡り、真田幸村ゆかりの九度山町、そして高野町へ最大50パーミルというカーブの続く急こう配を、車体をきしませながら最高時速33キロの速さで登っていく。開創1200年の記念行事の人気で高野山に向かう車内は混雑する一方、クルマ一台がやっと通れるような山中にある途中駅はゆっくりとした時間が流れている。昭和初期から変わらない山岳区間の風景を切り取った。

【制作後記】
ジオラマの中を走っているような風景は車内から眺めるにはよいが、録音のために沿線に近づくのは意外と難しい。観光バスが行き交う国道から、地元の人だけが通る細い道を入り集落へ。さらに登山道に分け入っていくと、薄暗い谷あいに真っ赤な鉄橋が姿を現した。竣工は昭和2年。トンネルを出てすぐに鉄橋を渡り、またトンネルへ。通り過ぎる一瞬をとらえたくて、マイクを向け続けた。

2015年4月30日 (木)

350歳、関川村渡邊邸の新たな門出

2015年4月27日~2015年5月3日放送
新潟放送 営ラジオ本部制作部 高橋紀子

【番組概要】
山形県に接する関川村にある、国の重要文化財、渡邊邸。老朽化のため、6年間の修復工事を終え、一般公開にさきがけてこけら落とし公演が2日間に渡って開かれた。大きな母屋と立派な梁に響く、和楽器の音色。フィナーレは、村民も一緒になって踊ることのできる盆踊り大会という演出。出演者、県内外のお客さん、村民、そして、久しぶりに賑わう「渡邊邸」も喜んでいる様でした。二日間の公演を軸に、静かな村が渡邊邸を中心に賑わう様子を描きました。

【制作意図】
豪農の館として知られる渡邊邸の重厚な邸宅と篠笛と太鼓の音色。県内外からお客さんが集まり、村民が待ち望んでいた渡邊邸の修復工事完了を祝い、集う様子を描きました。

【制作後記】
綜合プロデューサーは、実はひとりの関川村民。自称関川村観光大使と言う彼女が、ゼロからつくりあげた二日間でした。小さな村ですが、旧米沢街道の街並みを残し、温泉もリーズナブルなところからお忍びで行けるお高いところまでいろいろ。海の幸山の幸も満載の魅力的な関川村。ぜひ、一度お越しください♪

2015年4月21日 (火)

歴史を受け継ぐ案内人

2015年4月20日~2015年4月26日放送
西日本放送 営業局ラジオセンター 出石 亜弥

【番組概要】

香川県琴平町 金刀比羅宮・門前町にある「旧金毘羅大芝居」この芝居小屋では、年に1度、讃岐路に春を告げる「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が開催されます。「旧金毘羅大芝居」は、現存する芝居小屋の中では日本最古。通称・金丸座とも呼ばれ、国の重要文化財の指定を受けています。その「金丸座」で、案内人を勤めるのが「二藤 龍文」さん。訪れた方達を案内する様子、歌舞伎・金丸座に対する仁藤さんの思いを、歌舞伎の音とともにお届けします。

【制作意図】

今でも人力で動かされている様々な仕掛け、情緒あふれる芝居小屋、そして歌舞伎の話や仕掛けの詳しい説明をおもしろおかしくお話する案内人。金丸座は、訪れた人達がただ建物を見て帰るだけではなく、実際に触れて体験して楽しめる、貴重な文化財です。その魅力をラジオ通して伝えたいと思い制作しました。

【制作後記】

まだ寒さの残る3月初旬に金丸座で取材を行いました。金丸座に足を踏み入れた時にどこか温かさの残る空気と、手入れの行き届いた小屋内を見て携わる方達の愛を感じました。そして何より、仁藤さんの”歌舞伎が好き”という気持ちがとても伝わってきました。こんぴらさんの参道から、5分程歩くと「金丸座」に到着します。お参りをしたら、ぜひ立ち寄ってみませんか?笑顔の案内人が出迎えてくれますよ。

うぷゆう~島の未来にかける橋

2015年4月13日~2015年4月19日放送
ラジオ沖縄 制作報道部 金城奈々絵

【番組概要】

「伊良部島との間には 離れ島との間には 渡る瀬が 休む瀬が あればよいのに」

宮古圏域に伝わる「伊良部トーガニ」の一節には、伊良部島に離れて暮らす恋人を思う男性の想いが綴られています。宮古島の北西に浮かぶ伊良部島は、「離島の離島」と呼ばれ、島民はこれまで医療や教育などの面で不便を余儀なくされてきました。今年1月31日、宮古島と伊良部島を結ぶ伊良部大橋が開通し、島は喜びに沸いています。番組では橋の開通によって変わりゆく島の情景と、変わらない人の温もりを伝えます。


【制作意図】

伊良部大橋は、島民にとって40年来の悲願でした。夢の懸け橋の完成によって、人々の移動手段は、定期高速船から車へと変わります。橋の開通によって変わる「島の音」を記録するとともに、島民の喜びを発信したいと思い、取材に取り組みました。


【制作後記】

「うぷゆう」とは、伊良部島の言葉で「大変嬉しい」という意味です。数え107歳の宮国カマドさんは橋の開通について、「(島を取り巻く環境が昔と比べて)天と地ほど変わっているよ」と興奮を抑えきれない様子で語り、伝統の歌と踊りで喜びを表現しました。番組を通じて、伊良部島を身近に感じてもらい、一人でも多くの方に島を訪れて頂けたら幸いです。

 

 

2015年4月 7日 (火)

島原半島に息づく「のぞきからくり」

2015年4月6日~2015年4月12日放送
長崎放送 ラジオ局制作部 藤井真理子


【番組概要】
鎖国時代、西洋の文化が長崎を経由して全国に広がってゆきました。ビードロ(ガラス)製品の「レンズ」もその一つ。そのレンズを使った大衆娯楽が「のぞきからくり」です。レンズをはめ込んだ穴の向こうに広がる極彩色の別世界と独特の「口上」は人々を魅了し、昭和初期までは日本各地で見ることができました。しかし戦後は急速に廃れ、残された屋台装置や工場を伝える人もごくわずかです。雲仙普賢岳のふもと、有明海に面した南島原市深江町。ここには江戸時代から伝わる屋台と口上を残すために活動を続けている「のぞきからくり保存会」があります。メンバーはわずかに8人。会長は尾ノ上範男(おのうえのりお)さん76歳。番組では「のぞきからくり」独特の口上、そして保存にかける思いをご紹介します。

【制作意図】
「のぞきからくり」の魅力は次々に替わる極彩色の「絵」と、からくり屋台を操作し、手に持った棒で拍子をとりながら演じられる「口上」です。独特の旋律にのせ語られる「地獄」の世界や悲恋物語。その不思議な魅力を、敢えてラジオの音の世界で伝えたいと考え取材を始めました。また、西洋文化の入口であった長崎市内には残っていない「のぞきからくり」が、人口7800人の小さな町、南島原市深江町で伝え残されていることは少なからず驚きであり、その活動と思いをぜひ紹介したいと考えました。

【制作後記】
演目は昔から継承されているものはほとんどですが、尾ノ上会長が作った「平成新山物語」は、雲仙普賢岳災害と、その後の復興に向かう人々の姿を描いた新作。地域の行事をはじめ、県の内外、さらには地元の小中学校でも演じられています。番組内で若手メンバーとして登場する細波和歌子(さいはわかこ)さんも中学生の時、授業の一環で「のぞきからくり」に触れ、その魅力を知り保存会に飛び込んだのでした。とはいえ、細波さんを除けば、メンバーのほとんどが年配者。次の若手育成が望まれます。

半世紀以上の歴史を持つ録音構成番組。全国の放送局がその土地ならではの風俗をそこでしか聞くことのできない音とともに紹介します。

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