2010年6月21日 (月)

鍛冶屋四代 ~受け継がれるトンテンカン~

四国放送 ラジオ編成制作部 三浦 審也

徳島県の山あいの町・勝浦町には、八十年以上続く野鍛冶、
「大久保鍛冶屋」があります。
土地や人に合った使いやすい道具を作り続ける職人の技と心意気を紹介します。

時代の流れに逆らって鍛冶屋を続けたご自身を「天邪鬼」と笑う、
三代目の大久保喜正さん。
それが今や、良い道具を求めて遠くから足を運ぶお客さんもいるのですから、時代も替わったものです。

野鍛冶の強みは、お客さんの要望をきける事。
クワ一つとっても、土が違えば使いやすい形も違いそうです。

最近は高校生が授業の一環で作業場を訪れる事もあるとか。
21世紀こそ、鍛冶屋の技が求められる時代なのかも知れません。

2010年6月14日 (月)

羊たちとともに ~ある高校の取り組み~

山口放送 ラジオ制作部 高田 知太郎

山口県の田布施町にある田布施農業高校の生物生産課では、羊を使って遊休農地を再生させる取り組みを行っています。
食欲旺盛な羊たちに耕作が放棄された農地の雑草を食べさせようというのです。

羊の除草能力について研究をしてきた先生や、羊の世話をしている生徒さん、学校から羊を借りて遊休農地を再生させた方などを取材しました。

また、雑草を食べるということ以外にも、羊は活用されていました。

2010年6月 7日 (月)

三春駒を守り続けて

ラジオ福島 編成局放送部 小川 栄一

かつては全国的に指折りの馬産地であった福島県も
現在馬をあつかう牧場は数えるほどにまで減少しました。 

阿武隈高原の山村、葛尾村には家族4代、80年に渡って
競走馬の生産・育成を続けている一軒の牧場があります。 
昔は馬の生産が盛んであった葛尾村も、現在はこの牧場だけとなりました。

江戸時代には村の一部が三春藩に属していたことで、
ここで生まれた馬は「三春駒」と呼ばれ、藩主に献上される名馬も多く出た葛尾村。
村には名馬碑も立ち、数々の名馬の足跡が記されています。

そんな伝統の 「三春駒」 を唯一生産し、守り続けている家族の思いをつづります。

《制作裏話》

普段、朝は馬の鳴く声で賑やかな厩舎も、私が取材に伺った日は静かでした。見慣れない人が来ると馬たちも警戒して鳴かないんだとか…。馬に鳴いてもらう為(鳴き声を録音するため)、何度も早起きして早朝の牧場を訪ねたことは良い思い出になりました。

2010年5月24日 (月)

金物屋一代記

西日本放送  ラジオセンター 熊谷 富由美

高松市の兵庫町商店街で、戦後から商売を始めた、石崎調理道具専門店。店主の石崎一吉さんは、大正6年生まれの93歳。
今でも現役でバリバリ商いを営んでいます。

石崎さんは、高松空襲で焼け野が原になったこの場所で、
いち早く小屋を立てて商売を始めました。
最初は、箒や下駄などを仕入れて売っていましたが、
やがてアルミニュームの鍋などを扱うようになり、金物店として知られるようになりました。

又、ねこ鍋といって、お店に住み着いた猫3匹の居場所である鍋も
有名。いつも鍋に入って気持ち良さそうに寝ている猫は、金物屋の看板娘ならぬ、看板猫となっています。

そんな一代記を、軽妙な石崎さんの語り口で、紹介します。

2010年5月17日 (月)

大地の記憶~砂漠の砂から生まれたガラス

東北放送  ラジオ局制作部  伊香 由美子

仙台の温泉地、秋保地区に工房を構える、ガラス作家の村山耕二さん。村山さんの作品のひとつに、サハラ砂漠の砂を原料にした「サハラガラス」があります。

砂漠の砂を溶かしてガラスをつくるのは世界で初めての試みで、赤い砂漠の砂からは、淡いグリーンの澄んだ色のガラスができました。
まるで砂漠が水をたたえ緑に覆われていた頃の記憶がガラスに映し出されたように感じたといいます。

次に村山さんが選んだ素材は、仙台を流れる川の砂。
故郷の川として親しまれる広瀬川から生まれたガラスは、仙台をどんな風に映し出したのでしょうか。

世界には47の砂漠、日本には47都道府県。
それぞれのガラスを作り、色を比べてみたい、と村山さん。
私も生まれ故郷の川のガラスを見てみたいです。

2010年5月16日 (日)

ほやほやレゲエのだんねぇざ

福井放送  ラジオセンター 矢野 まさのり

福井を中心に活動する福井出身のレゲエ・ミュージシャン、
Sing J Roy。その活躍を伝える。


2008年発表の福井弁を使ったオリジナル曲「ほやほや」が県内各メディアを中心に人気となり、福井県のブランド大使にも任命された。
彼の楽曲は小さなお子さんからご年配の方までどなたにも楽しめるということ。

このほど鯖江市のお寺でご法要の後に行われたコンサートの音源を中心に、福井弁を使って歌うその理由を熱く語ってもらった。

当日の取材は、老人会でもライブ経験があるということを聞いていたので心配はしていなかったものの、実際に普段コンサートに足を運ぶことのない年配者を対象に、楽しんでもらえるのかという不安があった。

ところが、そんな心配をよそに本堂に集まったみなさんが大いに盛り上がり、笑顔で小寺を後にするのを見て、安心すると同時にこのミュージシャンをもっと全国のみなさんに知ってもらいたいと感じた。

2010年5月10日 (月)

話芸として生きる節談説教

北陸放送  ラジオセンター 川瀬 裕子

「節談説教」とは仏教の教えを独特な抑揚とリズムをつけて法話するものです。
こうした布教の形は古くはインドや中国にも見られ、日本でも仏教伝来と共に行われたと考えられており、節談説教が元となって浪曲や落語、講談などがはじまったとされています。


石川県門前町にある満覚寺住職・廣陵兼純さんは全国でもわずかとなった節談説教の第一人者です。
笑いと涙を誘う語りに多くの人々が魅了され、寺院を訪れています。

近年、ようやく後継者養成に全国的に取り組む風潮になってきた節談説教。
心にひびく語りはいつの時代も人々を引きつけます。

2010年5月 3日 (月)

青島ういろう物語

宮崎放送  ラジオ営業制作部 小倉 哲

昭和40年代、新婚旅行ブームで沸いた宮崎有数の観光地、宮崎市 青島。この青島で明治時代から売られているお土産が「青島ういろう」です。

明治15年創業 松山商店の3代目店主、佐々原一也さん36歳は、今も薪とセイロ蒸しで作るういろうにこだわり続けています。
青島ういろうの原料はうるち米と、上白糖・黒砂糖をとかした砂糖湯だけです。
 
その製法は明治時代から地元の人たちに受け継がれてきました。最盛期には50軒以上あったういろう店も、観光地としての地盤沈下で、今では数えるほどに。さらにガス、圧力釜の登場で伝統的な製法は姿を消しつつあります。

【制作裏話】 宮崎県民にとって「ういろう」といえば、名古屋や山口ではなく「青島」のもの。山口県出身の新人アナウンサーに食べさせたところ自分が抱いているういろうとあまりにかけ離れていたのでカルチャーショックを受けたようです。

2010年4月26日 (月)

波にふれる春のめぐみ

秋田放送 ラジオ局ラジオ制作部 利部 昭勇

日本各地、どこにでもある海草・あおさに、秋田県男鹿市の人たちは特別な想いを抱きます。「今年も春がやってきた」。
あおさ採りをする男鹿の人たちはみんな穏やかな表情です。

古くから漁業で生計を立ててきた男鹿の人たちは、大自然・海の厳しさをよく知っています。特に日本海特有の冬の荒波を。
人間など寄せ付けない漁場に漕ぎ出でる漁師たち。だからこそ、磯の春の使者、あおさに言葉ではいい表せない喜びを感じるのです。

そして、この喜びは先祖代々から伝わってきたものです。男鹿のほとんどの人たちは生まれて初めて採りにいった時のことを、どんなに年老いても鮮明に覚えているのです。

日常におささやかな場面から、まさに春の風物詩を味わえる番組になりました。

風物詩は特別なものではありません。人それぞれ、自分の生活の仲に、いろんな形で見出せるものではないでしょうか。

【制作裏話】
今年の秋田の冬は荒れに荒れました。どうやら季節の歩みがいつもより遅いようです。
秋田であおさが採れるのは、毎年だいたい3月下旬ですが、
「今年はちょっと遅れそうだぞ」…人生の半分以上を海と付き合ってきた漁師・白幡一政さんが言うことなので、制作日程が間に合うか少々あせりを感じました。
抜けるような青空と穏やかな海なのに、水中の生き物たちは敏感に
「春はまだ!」と悟っていたようです。

企画を立ち上げ、白幡さんとの初めての打ち合わせから、待って、待って、2週間後。ついに磯に出るチャンスが訪れました。

白幡さんは待ちに待った春の到来を。私は待ちに待った取材の到来を。おかげで「春を待つ喜び」はお互いに例年の倍以上になったようです。終始、テンションの高い取材でした。

2010年4月19日 (月)

潮騒の街のシスターとオルガン

長崎放送 ラジオ局制作センター 尾上 裕明

長崎市中心部から車で50分、左手に遠く五島灘を望みながら西彼杵半島を北上すると外海地区に着きます。
外海地区は、禁教時代、厳しい迫害を逃れたキリシタンが隠れ住んだ地。遠藤周作の小説「沈黙」の舞台としても知られています。

この地区には、キリシタンの遺跡や協会、歴史的建造物も多く集まっており、本編で登場する「ド・ロ神父記念館」もこの一帯にあります。

フランス人宣教師のド・ロ神父は明治時代、この外海地区で社会福祉をはじめ、建築・医療・教育などの様々な分野に奉仕し、貧しく厳しい生活を強いられていた人々を救うことに渉外を捧げました。

そのド・ロ神父の遺志を受け継ぎ、この記念館で毎日をオルガンを奏
で、歌っているのが、橋口ハセさんです。

橋口ハセさんは13歳でシスターになり、20代からオルガンを弾き始め、現在で91歳。ハセさんと会おうと、この地を訪れる人々も多く、ハセさんはそんな人々のため、オルガンをかなで、聖歌などの歌を聴かせてくれます。

微笑みが印象的なシスターが奏でるオルガンの音色にのせて、ド・ロ神父の教えは、外海地区の歴史と、橋口ハセさんの存在を広く伝えたいと思い、制作しました。

半世紀以上の歴史を持つ録音構成番組。全国の放送局がその土地ならではの風俗をそこでしか聞くことのできない音とともに紹介します。

ブログ powered by TypePad