2003年1月13日 (月)

銭湯の灯り

東北放送 ラジオ局制作部 佐藤 千明

ライフスタイルの変化とともに、銭湯は年々減り続けている。
親子ともども裸で背中を流し合った銭湯、日本の文化でもあり、庶民の社交場でもあった銭湯のいまを取材してみた。

昭和46年まで、仙台市内の銭湯は70件あった。
現在は百万都市仙台に、僅かに12件しか残っていない。
仙台市宮城野区原町にある銭湯「にしき湯」創業は昭和5年。
三代目のご主人は、ひとりで薪を割り、風呂を焚き、番台に上がり、細々と昔ながらの銭湯の灯りを守り続けている。

湯ぶねから溢れる湯音、洗い場の桶の音、天井の高い浴場に反響する客たちのざわめき、銭湯から聞こえてくる音は懐かしさと暖かさに満ちている。風呂付きの家がほとんどになっても、銭湯を愛する人はまだまだいる。銭湯に入るのを楽しみにしているお年寄りも多い。

都市化が進み、時代が大きく変わってしまったが、銭湯はいま高齢者にとっての人と繋がるスポットにもなっている。
経済効率も悪く、後継ぎもいないなか、ご主人の銭湯を守り続ける気持ちとは…

時代の波に揉まれながら、細々と灯りを燈し続けている銭湯にスポットをあててみた。

2003年1月 6日 (月)

能登のオンネもチョーダイ

北陸放送 ラジオ局放送部 小林 万希子

細長い石川県。“おんねも祭”という祭りが能登門前町にあることを金沢に住む私は、今回初めて知りました。

また、能登出身の人にたづねてみたのですが、知りませんでした。とても小さな小さな祭りです。
しかし600年もの歴史を持っています。今回の取材で、小さく有名でない祭りが結構世の中には存在し、風化させない意味でも音の記録として残すことは大切であると感じました。

2002年12月30日 (月)

誕生! 土でできた楽器の音

宮崎放送 ラジオ局制作部 渡辺 康晃

音の世界を表現するのに良い素材でした。
トーキンという名は、世界初です。

3回の取材で、今回MDで収録しました。

数年後には、世界の音として認められると確信しています。

2002年12月23日 (月)

大ブレーク さぬきうどん

西日本放送 ラジオ放送部 片岡 三佐子

今、さぬきうどんが大ブレークしています。
100円のうどんを食べるために新幹線や飛行機を使って香川県にやってきます。
 
讃岐(香川県)で育ち、暮らしている私達にとって、うどんは一番身近な食べ物であり、いつでも食べられる当たり前の物です。そのうどんがこれほどにブレークした事はある種、喜びでもあり、驚きでもあります。そこで、ツアーに同行することで讃岐うどんの魅力を改めて認識してみました。

同行したツアーはJRが企画した歩いて回るうどんツアーです。
地元のうどん店ということで、予約無し、売りきれ御免。地元の人にまじって並び、冷たい風が吹く中、外で立って食べる。具も無くうどんだけを味わってもらう。

それでも皆、大満足です。
それだけにうどんそのものにこだわって作るお店の心意気が伝わってきます。長い歴史が培ったさぬきうどんの美味しさを感じていただければと思います。

2002年12月16日 (月)

あの頃の賑わいをもう一度~丸山華まつり

長崎放送 放送制作課 三輪 准子

映画「長崎ぶらぶら節」をキッカケに、地元長崎・丸山が今、盛り上がる!!
寂れゆく丸山遊郭の賑わいを何とか取り戻そうと、若い山口広助さんを中心に復興の兆しが見えてきました。「まるやま学校」もそのひとつです。

年齢に関係なく正調な「ぶらぶら節」を覚えたいという意欲があれば、誰でも参加することができ、遠くは県外から来られている生徒さんもいらっしゃいます。また、親子で着物を着て伝統の踊りを習えるのも「まるやま学校」ならでは。

将来は「くんち」の踊り町」となるか!?
これからが楽しみの丸山町です。

2002年12月 9日 (月)

平成鍛冶屋事情・ナガサ物語

秋田放送 ラジオ放送部 柳沼 秀光

「しばしも休まず 槌うつひびき とびちる花火よ はしる湯玉」という歌詞ではじまる「村の鍛冶屋」という歌をみなさん知っていますか?

最近の子供たちは知らないのです。
この曲は鍛冶屋の減少とともに、昭和55年の教科書から消えた唱歌のひとつなのです。

ご紹介する鍛冶屋さんは北秋田郡森吉町阿仁前田にあり、かって独特な狩猟文化を築いた豪勇の狩人「マタギ」が絶大なる信頼を寄せた、山の万能刀、「ナガサ」をつくる唯一の鍛冶屋さんなのです。

40年間つくり続けている西根登さんに、職人の技と心をご紹介します。

2002年12月 2日 (月)

石焼いもの声が聞こえる

静岡放送 ラジオ制作部 山本 真弘

街角で見かけた引き売りの焼きイモやさん。
一体どんな人が、どこからやって来て商売しているのだろう?
夏場は何をしているのだろう?
そんな疑問から取材を始めました。

取材させていただいた山口さんは31才と若く、また子連れの焼きイモ屋さんだったことに驚きました。彼の車中でかかっているレゲエは、複雑な家庭事情に育ち、ハチャメチャだった山口さんの人生を一変させたモノ。

家族との時間が一番楽しいとおっしゃっていた山口さんでした。

2002年11月25日 (月)

大道芸人に出会える街

文化放送 報道部 植松 敬子

今、東京の街では週末ともなると多くの大道芸人たちが姿を見せ、人々を楽しませています。
「大道芸人を大都市の魅力」にしようと東京とは今年8月、優秀な大道芸人にライセンスを与え、公園や地下鉄の駅などの公共スペースを彼らの舞台として提供する「ヘブンアーチスト制度」を導入、大規模なオーデションを行って154組にライセンスを与えたのです。 

これまで公共の場所で芸をするには、その都度、警察やジ自治体に許可をもらわなければなりませんでしたが、通行の邪魔になるとか、周辺に迷惑がかかるなどの理由で、その許可はなかなか下りませんでした。

このため大道芸人たちは肩身の狭い思いをしながら、誰かに注意されるまでの間、芸を披露していたのです。
でもヘブンアーチスト制度によって状況は一変しました。ライセンスを取得した大道芸人たちは指定された都内20ヶ所のスペースで、堂々とパフォーマンスが出来るようになったのです。

ぶらっと公園を散歩していて、また何気なく地下鉄の駅を歩いていて、思いがけず楽しい芸を見られるってとっても良いものだなぁと感じました。そんな“ふと歩いていると大道芸人と遭遇する”東京の街の雰囲気が伝わればと思っています。

2002年11月18日 (月)

コンテナみかん

熊本放送 ラジオ編成制作部 高野 泰宏

番組内で使用したコントの風景、実はRKKの公開録音に出演したときのものです。
地方の祭りは夕方から夜にかけて開催されることが多いため、田中さんは、みかんの収穫を終えて作業着のまま、軽トラに乗って会場入りすることがあるそうです。

そのときに会場入り口で出演者と思われないで、止められることがよくあるそうです。

2002年11月11日 (月)

広がれ けん玉の響き

中国放送 ラジオ局ラジオ制作部 延藤 靖

けん玉は、誰もが一度は試したことがある遊びです。でも、その由来はあまり広く知られていません。実は、いまのけん玉の形は広島県にルーツがあるのです。
大正時代廿日市市という町でいまのけん玉が生まれました。 

そのせいか、広島市は昔からけん玉が盛んです。特に熱心な指導者が多く、その一人、広島市に住む今田弘武さん(56歳、日本けん玉協会認定八段)は、みんなからけん玉名人と呼ばれています。仕事づとめのかたわら、休みの日には学校や公民館を訪れ、子供たちにけん玉の楽しさを教えています。

教えた子供の中には、去年と今年の全国大会でV2を果たした小学生もいるほどです。「けん玉は失敗の連続。だからこそ、できるようになった時の喜びを味わってもらいたい」それが今田さんの強い思いです。
広島では、けん玉の試合や大会も盛んです。10月20日に開かれた「廿日市市けん玉道選手大会」には、県の内外から70人が参加しました。

もともとけん玉は、オランダから伝わったとも、中国からとも言われていますが、いまより少し細くロウソクたてのような形でした。大正7年、広島県呉市に住んでいた江草濱次という人物がいまの形を考案し、昔から木工業の盛んな廿日市で製造されるようになりました。

父親の代からけん玉づくりを受け継ぐ西村保宣さん(65歳)は、昭和40年代には、毎日1000個近くを作っていたそうです。
今田さんたちの」熱意が実り、今では体育の授業として小学生や大学でもけん玉が教えらています。いまのけん玉が誕生して、すでに80年余り…。

広島の街には、今日もその響きがこだましています。
《制作意図》
けん玉発祥の地である広島県には、その長い歩みがあり、また、けん玉を人間形成に生かそうと熱心に取り組む人々がいます。単なるこどもの遊び、おもちゃというイメージを越えて、その音色が響いていることを伝えられたらと思っています。
《こぼれ話し》
けん玉大会の取材には、別の会場(10月13日)にも出かけましたが、これは不発に終わりました。会場が屋外だったので、けん玉が響かず、ほとんど音が拾えなかったのです。けん玉の録音は、やはり室内に限ります(笑)。

半世紀以上の歴史を持つ録音構成番組。全国の放送局がその土地ならではの風俗をそこでしか聞くことのできない音とともに紹介します。

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