カラスと暮らす都市
文化放送 報道部 田中 雅章
・東京の都市部で当たり前に見られるカラス。少しでもその現状が伝えられれば…。
・被害を訴える人も駆除の話になると反対する人がほとんど。
・意外とかわいいなどと答える人が多かった。
文化放送 報道部 田中 雅章
・東京の都市部で当たり前に見られるカラス。少しでもその現状が伝えられれば…。
・被害を訴える人も駆除の話になると反対する人がほとんど。
・意外とかわいいなどと答える人が多かった。
熊本放送 ラジオ局 編成制作部 高野 泰宏
熊本城は築城400年の2007年に向けて天守閣の西側、西出丸一帯と本丸御殿を作られた当時と同じ工法で復元しようとしています。
なぜ、当時と同じ工法でといいますと、天守閣は昭和34年に鉄筋コンクリートで再建されたものだからです。
この熊本城は天守閣と同じ形と大きさの「やぐら」が7つあり、遠くから見ると城が7つあるように錯覚させるつくりだったそうです。
武者返し以外にも城づくりの名人だった加藤清正らしい話です。
さて、現代の加藤清正ともいえる東坂利弘さんですが、文化財の保存・復元を始めて27年、その間、引越しした回数は20回ちかいということです。
東坂さん曰く「建物がきてくれればいいのに」ということです。
高知放送 ラジオ局 渡邊 護
高知県の中部を北から南に流れる二級河川「新庄川」をテーマにお伝えする。
この新庄川には、アユを始め46種の魚類がすみ、昭和54年(1979)までは、「ニホンカワウソ」の生息が確認され、清流の名で知られている。
この川の定点撮影をつづけて今年で26年になる、水辺のフォトジャーナリスト高野弘さん(50才)の姿を追いながら河川のもつすばらしさを音で紹介しようというもの。
青森放送 ラジオ報道制作部 藤田 晴央
弘前市の養生幼稚園。吉田松陰も訪れたことのある武家屋敷を増改築した建物。中に入ると雪国特有の“遊具室”がある…。
ディレクターである私は、ここの卒園生。ある日、遠来の客を案内して、30数年ぶりに幼稚園を訪れたら、自分が使っていた積み木がまだ使われていたのでびっくり。聞くと、明治の末からずって使われているとのこと。この話は、私の口から人を介して司馬遼太郎氏に伝わり、「北のまほろば」に書かれている。
司馬氏に先に書かれた悔しさもあり、なんとか番組にしたいものと思いつめて数年。物が粗末にされている現代、物を大切にすることは、人の心を大切にすることだというメッセージが少しでも伝われば幸いです。
東海ラジオ放送 報道部 アナウンス課 大澤 広樹
プロ野球、中日ドラゴンズの本拠地としてファンに愛されてきたナゴヤ球場が、表舞台を去って5年が経過しました。
スタンドや照明灯が取り壊されていく様子を、周辺や住民や関係者はどんな思いで見つめているのか、そしてナゴヤ球場は現在どう利用されているのか、なお生き続けるナゴヤ球場を紹介したいと思い、企画しました。
取材をしていても、みなさん熱心に語ってくださり、改めてナゴヤ球場の魅力を確認しました。
中国放送 ラジオ局 ラジオ制作部 亀井 弘龍
競馬が誕生した国で「馬の神様」とよばれる職人がいます。鉄で出来た馬の靴とも言える蹄鉄をつくる「装蹄師」の中で優秀な職人だけがこう呼ばれるそうです。
日本で「馬の神様」と呼ばれる装蹄師、福永 守さん(73歳)。今年で装蹄師として丸50年を迎えました。
15年前に、第一線から退いた後、故郷世羅西町で「福永装蹄治療牧場」を開業、県内外から集まる装蹄師の卵たちとともに現役です。
そんな福永さんに、「馬の足」のことだけを考え、修行してきた50年間を振り返っていただきました。
南日本放送 報道制作本部 ラジオ制作部 宮川 由紀江
児童文学作家の斉藤きみ子さんは、鹿児島県の甑島、里村に住んでいる。結婚後、きみ子さんは静岡で保育園とコーヒー専門店を経営し、家族すれ違いの忙しい毎日を送っていた。
しかし、家族についてもっと本覚的なものを考えようと22年前、この里村に引っ越してきた。里村はきみ子さんのご両親の出身地で、人口1500人ほどの小さな村。伝統的な行事も残っている。その一つに村ずもうがある。
子供たちによるこの村ずもうは、村の大人たちが子供を見守り、また育てる場にもなっていることに、きみ子さんは気付く。また、甑島には海も山も近くにあり、自然豊かな島。
執筆活動の合間に自宅近くの自然の中を散策し、いろいろな植物や動物に出会うのがきみ子さんの楽しみである。そして、動植物の小さい世界に触れることや、自然の中で過ごすことが、童話を書くきみ子さんのアイディアの源になっている。
甑島で見たものや聞いたもの全てが、きみ子さんの創作活動を支えている。
京都放送 ラジオ制作部 矢谷 朋子
別の番組で今回出演いただいた髙木さんとお話する機会があり、「清水焼きを後世に残したい」という熱い思いを伺い、番組に取り上げたいと企画しました。
しかし、焼き物はわれやすいため、あまり大きな音がでるような場面がなく悪戦苦闘。雰囲気が伝わればうれしいのですが…。
大分放送 ラジオ制作部 園田 理恵子
大分県佐賀関町に「飾りヒョウタン」作りの名人・比永孝一じいちゃん(84)が住んでいる。
ヒョウタン作りを始めたのは16年程前。稲作やイチゴ・メロン栽培をする農家だったが、腰を痛めたためにヒョウタン栽培を始めた。
ヒョウタンは一つとして同じ形はなく、その自然な形を生かしてなにかを作ろうと工夫を重ねていった。軒に吊るさず、畑に千成・百成・だるまひょうたんなどを植え、地に這わせてわざと雑種を栽培。
そうすると自然に変形ヒョウタンが誕生するらしい。
周囲から「作品鑑賞や展示即売をするヒョウタン祭りを開いては」と勧められ、毎年成人式の連休に開催するようになった。指導している地区の人や小学生の作品を中心に展示・即売、振る舞いのお酒やお料理など、年々評判となり、県外からも団体で訪れるくらいのお祭りになっている。
長生き・元気の源が“お酒”に始まったひょうたん作り。少しずつだが地元の子供たちに受け継がれようとしている様子や高齢にも係わらず、今なお製作意欲の旺盛なおじいちゃんの姿を伝えたい。
山形放送 ラジオ制作部 松浦 正登
高級手織り絨毯の産地として、全国に知られる山形県の山辺町(やまのべまち)。かって手織り作業の際、織り子さんたちに歌われていた唄があった。
いつしか時代とともに忘れられ、今では歌われなくなってしまっていた。
“絨毯の唄があったようだ”との話を聞きつけ関係者を取材するうちに、その歌詞に込められた歴史もあきらかになってきた。
当時の楽譜など残っておらず関係者の記憶を頼りに幻の唄が再現され、蘇った。