2007年1月 8日 (月)

ロックンロール大名

四国放送 ラジオ局編成制作部 林 かおる

徳島県阿波市の商店街で毎年行われる「やねこじき」は、江戸時代から続く伝統行事で阿波藩祖、蜂須賀家正公の巡視を迎えるため、村人たちが山車をつくり、店先に飾ったもの。

この「やねこじき」の継承拡大による町の活性化イベントとして平成四年から「大名行列」が行われるようになり、今年で15回目を迎えます。

毎年、殿様役には有名な大物俳優がチャレンジしますが、今年はなんと! 永遠のロックンローラー、内田裕也氏が挑戦。

金髪のお殿様の誕生に見物客も大喜び。とても優しくて、シャイで素敵な内田さんでした。

2007年1月 1日 (月)

守っていきたい囲炉裏端の絆

福井放送 ラジオセンター 岩本 和弘

生活の中にあった囲炉裏が今、消えつつある。
小浜市在住の仲野実さん(61歳)は、6年前に自宅隣の旧宅に囲炉裏を復活させた。30年前に埋めてしまった同じ家の同じ間所に。

子どものころの家族団らんの思い出を大切にしたい…。奥様の聖代さんとの夫婦のつながりの場所にしたい…。仲間とのつながりの場所にしたい…。そんな思いがあった。

部屋で火をおこす。ゆったりとした時間が流れる。家族で囲炉裏を囲む。仲間で囲炉裏を囲む。旬の食材を使ってにぎやかに鍋を囲む。囲炉裏を囲めばおいしいものをおいしいと感じる…。

人の温もりを感じる…。初対面でも自然と心が通じ合う。そんな不思議な空間。魅力的な空間。

薪割り、火おこし、パチパチと火がはじける音。そして仲間との賑やかな語らい…。囲炉裏には、素敵な音の風景がある。

かって囲炉裏は、家族団らんや地域の皆さんとのつながりの場所だった。仲野さんは、「囲炉裏には、現代社会に忘れられた何かがそこにあるような気がする。人と人とのつながりのあるこの場所を残してくれた先祖に感謝している…。この火は絶やさないように守っていきたい」と話す。

2006年12月25日 (月)

こだわりの野鍛冶屋

信越放送 ラジオ編成制作部 船戸 導洋

松本市にこの道50年の鍛冶屋が健在だ。
若いころより本業を継ぎ、農機具や包丁などの刃物を手がけてきた、いわゆる野鍛冶屋で、長野県内で唯一といっても過言ではない。

機械プレスが全盛の中、手作業で地金にハガネを打ち込む、昔ながらの手法を守り続けている。客の満足を最優先に考え、30年先まで使える製品作りにこだわり、その結果プロの職人から厚い信頼を得ている。

「町の鍛冶屋」に響くつち音と切れ味抜群のそば包丁の音を追い、職人のこだわりを探った。

中沢刃物製作所(松本市庄内町)

2006年12月18日 (月)

山里にかかるオレンジ色の暖簾

東北放送 ラジオ編成制作部 橘田 久

宮城県の最南端に位置する丸森町は、ころ柿と呼ばれる「干し柿」が特産品です。

干し柿作りが最盛期を迎える11月のなると、「柿ばせ」と呼ばれる柿干し場に、たくさんの柿が吊るされます。それはまるで、オレンジ色の暖簾が、幾重にも、連なっているように見えます。

番組では、「干し柿作りの体験ツアー」に「柿、牡蠣(かきかき)交換」と、ユニークな企画を打ち出し、故郷・丸森の魅力を伝えようと奮闘する八島哲郎さん(44)にスポットを当てながら、小さな山里の晩秋の風景を描写しました。

2006年12月11日 (月)

金沢・寺町「寺院群の鐘」

北陸放送 制作部 金多 妙子

平成8年、当時の環境庁から「残したい日本の音風景100選」に選定された「金沢・寺町寺院群の鐘」。

あれから、10年後どのような状況なのか気になり、鐘音会の会員をお尋ねしたところ、「続けていますよ」と、皆さんお歳をめされたものの、とてもお元気そうでした。

お住まいは金沢でも古い街並みの残る地域で、町内の人たちの絆も強く、お年寄りはもちろん、後から移り住んだ人たちもそんな環境に次第に馴染んでいくようなところです。

会員の皆さんは、自分たちが“鐘つき”を止めたら、「音100選」が99選になると大変だという危惧も手伝って、責任感も感じながらも楽しんで続けていらっしゃるご様子でした。

しかしながら、会員の平均年齢80歳近くとなった今、これから先は後継者を交えながら続けていくことを願うのですが、このあたりはまだ先の課題のようです。

取材は限られた曜日と時間ということで、日脚の短くなった夕暮れ時、鐘をつきにお寺にいらっしゃる方を何回か取材しました。

鐘を付き始めるころは真っ暗、でも12年も付いていらっしゃる会員は慣れたもので、懐中電灯も持たずに足取りも確か。同行した私のほうが足元おぼつかなく、鐘楼の石の隙間に足を挟んでしまい、大きな青あざが。

さて、これからの時代は自分たちが住んでいる地域を大切にしたいという想いはますます強くなるように思いますので、このような活動は広く皆さんに知っていただきたいと思い制作しました。

2006年12月 4日 (月)

村を守ってバスは走る~諸塚交通の秋~

宮崎放送 ラジオ局長 湯浅 和憲

宮崎県諸塚村。村の総面積の95%を山林が占めています。
人口は2000人余り。村人は先人たちの残した山を大事に受け継いでいます。おもな産業は農林業。

中でも、椎茸は原木栽培で生産され、諸塚の特産物として県内外にその名を知られています。

諸塚交通は2年前、宮崎交通に替わり、村内4つの路線に参入した個人経営のバス会社です。社長は黒木重人さん、53歳。現在諸塚交通はバス6台、タクシー2台を保有して、村民の貴重な交通手段としての役割を果たしています。

諸塚交通の乗客の80%はお年寄りや、小中学生=いわゆる、車を持たない交通弱者と呼ばれる人々です。社長の黒木さんは、坂の上にある村立病院の玄関までバスが上がるようにしました。また、高齢者の利用の多い諸塚温泉にも新しくバス停留所を作りました。

諸塚村の人々は、一様にきめ細かく運行される諸塚交通バスを歓迎しています。諸塚交通は人を運ぶだけではありません。会い朝本社から始発地に向かう道すがら、朝刊を降ろしていきます。新聞を待っているのは地区のおばあちゃんたち。

諸塚中学校3年生の藤岡羊平君は、来年卒業する羊平君は村外の高校へ進学します。「人口流出」と「過疎化」の流れを何とか食い止めたいと黒木さんは羊平と顔を合わせる度に、「村へ帰れ」と訴えるのです。

走れば走るほど経費がかさむ諸塚交通ですが、地域の生活を守り先人たちの残した山の文化を伝えるため、黒木さんは今日もバスを走らせます。

2006年11月27日 (月)

鬼ヶ島のくらし

西日本放送 ラジオセンター 白井 美由紀

香川県高松市。沖合い約4キロ。穏やかな瀬戸の海に浮かぶ小さな島。「鬼ヶ島」とも呼ばれる女木島。

高松港からフェリーで20分のこの島に着くと、まず出迎えてくれるのが「オーテ」と呼ばれる特徴的な石垣。女木島の家はこの「オーテ」に屋根まですっぽりと覆われています。

これは女木島の、しかも港周辺にだけ吹くめずらしい季節風「オトシ」から家を守るもの。島の生活に、時として大きな打撃を与えますが、島の人々は明るく元気に暮らしています。

高岸さんは、この「オトシ」の記録をはじめ島の歴史に関する実に様々な、写真や資料を取材時に見せてくれました。

昔の印鑑証明、50年前の写真…、中にはこの島への嫁入りをテーマにしたと言われる「瀬戸の花嫁」を歌った小柳ルミ子さんと、この歌のモデルになったご家族との写真もありました。

2006年11月13日 (月)

里帰りラッパが行く

秋田放送 ラジオ局 ラジオ放送部 丹内 モモコ

戦後 サイパンから旧日本軍の「ラッパ」が還って来た。秋田県由利本荘市に住む佐々木三知夫さんは、この「ラッパ」をもらい受け、戦友会などの会合に顔を出す。

リクエストに応じ、ラッパを吹き、想い出話に加わる。また、戦争を知らない子どもたちにはラッパの話しとともに戦争の話しを伝える。

この「ラッパ」のことを聞いて佐々木さん宅を訪ねてくる人もいる。木内兼治さんはサイパンで戦友を失っている。ラッパの音を聞き、「木村、中村ー」と戦友の名をつぶやき、涙にくれた。

遠い戦場からの里帰りラッパは、ふるさとの人々に「平和」を伝えて行くことと思う。

2006年11月 6日 (月)

塩の産声が聞える~我が子は戸田塩~

静岡放送 ラジオ局 ラジオ部 渡辺 玲子

沼田市戸田の「NPO 戸田塩の会」は1500年ほど前、戸田で作られた塩が朝廷に献上されていたという歴史を掘り起こし、塩作りを地域文化として伝承しています。

戸田塩は、海水を駿河湾沖1キロから汲み上げ、薪を燃料に大きな釜で煮詰めるというシンプルな製法で出来上がります。

会を発足して10年。研究に研究を重ね、今の塩の味にたどり着いたと理事長の菰田智恵さんは語ります。そのお陰か、全国から注文が舞い込み、買い物客も何度となく足を運ぶようになりました。

そのおいしさに隠された秘密は、会のメンバーの手間暇を惜しまず塩と向き合う姿勢と、とにかく塩作りが楽しいという思いがあるからだろうと感じました。

今回はその塩作りの様子をご紹介します。子育てを卒業した50歳代から70歳代のお母さんたちが、塩を我が子のように慈しんで作り上げる姿を思い浮かべてみて下さい。

取材中、戸田塩を使った3000円もする食パンをおやつにいただきました。素材にこだわるパン屋さんが選び抜いたのが戸田塩です。皆で分け合い「おいしいねー」と笑顔がこぼれました。

そんな人間の笑顔に迎えられたとき、塩も同じように生まれてきた喜びを感じているのではないでしょうか。

2006年10月30日 (月)

秋祭りを織り成す江戸情緒あふれる女性たち

文化放送 編成局 報道制作部 高尾 益博

文化放送は今夏、50年余り慣れ親しんだ四谷から新天地・浜松町へ移転した。浜松町は貿易センタービルを中心に広がるオフィス街、東京湾や羽田空港にもアクセスしやすい「交通の要衝」であるとともに、芝・増上寺や芝大神宮などの寺社が点在する街でもある。

そこで「新しいものと古いもの」「変わるものと変わらないもの」という視点から、秋祭りで賑わう芝大神宮を訪れた。

祭りといえば威勢の良い神輿担ぎの声、力強い和太鼓の音というように、「男性が担ぐもの、叩くもの」というイメージが強いが、この芝大神宮は180°違った。

昔から女性だけで担ぐ「婦人神輿」(かつては「芸者神輿」と呼ばれた)が存続し、また和太鼓の演者は女性が中心になりつつあり、「祭りを盛り上げるのは男性ではなく女性である」という一つの仮説に至る。

この仮説を証明するため、江戸神輿保存会「千成会」という和太鼓グループの練習会に出向き、40年のベテラン「親方」(男性)から技術と「想い」を受け継いでいる女性たちの様子を取材した。

この作品では、「新しいものと古いもの」が浜松町という街の中にあるのと同じように、浜松町という街で生活する人にとっても「変わるものと変わらないもの」があるということを、「婦人神輿」と「和太鼓」で活躍する女性というフィルターを通して浮き彫りさせることに主眼を置いた。

半世紀以上の歴史を持つ録音構成番組。全国の放送局がその土地ならではの風俗をそこでしか聞くことのできない音とともに紹介します。

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