2015年12月16日 (水)

オジーとチャンピオン闘牛

2015年12月21日~2015年12月27日放送
琉球放送 ラジオ局編成制作部 真壁貴子

【番組概要】
明治頃から農村の娯楽として親しまれてきた沖縄闘牛。1トン前後の牡牛同士がぶつかり合う迫力のある闘いが見ものです。闘牛のメッカうるま市では、ほぼ毎週のように闘牛大会が開かれています。中でも年3回の全島闘牛大会は、チャンピオンのタイトルを賭けた試合で約4000人のファンが駆けつける一大イベントです。そして今、最も注目の牛が10年連続防衛を目指すチャンピオン、闘牛ハヤテ!スター牛、闘牛ハヤテと牛主の幸地良盛さんの日常を先の全島大会を振り返りながら制作しました。

【制作意図】
伝統娯楽として今なお盛んな沖縄闘牛。チャンピオンシップを賭けた全島闘牛大会が近付くと牛主もファンもいてもたっても居られぬほど、胸の高まりを感じると言います。その全島大会でチャンピオンになるのは牛主の夢!これまで3頭のチャンピオン牛を育て、現在連続防衛中のチャンピオン闘牛ハヤテの世話をしている牛主の幸地良盛さん85歳の淡々とした生活の中にしっかり刻まれた活力と夢を伝えたい。

【制作後記】
超高齢者社会が到来しつつある今、人はどのように健康長寿を保つのか関心があります。そんな中目指すべきシニアとして目に留まったのが85歳の牛主幸地良盛さん。1トン近い闘牛を引いて歩く姿は頼もしく、元気と勇気を与えてくれました。ワクワクすることの大切さ、幾つになっても自分の役割を持つことの大切さを闘牛を通して示してくれた気がします。

2015年12月15日 (火)

フッペルの 平和の音色(こえ)を 次世代へ

2015年12月14日~2015年12月20日放送
NBCラジオ佐賀 放送部 中村 正典

【番組概要】 
九州の交通の要衝、佐賀県の鳥栖市。JR鳥栖駅の前にある文化施設、サンメッセ鳥栖。ここには、特攻隊員が出撃前に演奏したピアノが大切に展示されています。このピアノは、美しい音色で知られるドイツ・フッペル社製。昭和20年の夏、2人の特攻隊員が鳥栖小学校を訪れ、学校にあったフッペルのピアノでベートーベンの「月光」を弾いて出撃したという戦争悲話は小説や映画になりました。このピアノをとおして、毎年8月15日の終戦記念日に平和コンサートが開かれています。平和のシンボルとしてピアノの保存に携わり、語り継いでいる齊藤美代子さんの思いを8月15日に演奏されたピアノの音色とともにお届けします。


【制作意図】 
映画「月光の夏」が公開されたのは、1993年。映画の公開から22年が経過した今でも、鳥栖市ではコンサートの開催などによって平和の尊さが語り継がれています。映画が公開された時期だけでなく、戦後70年が経過した今でもフッペルのピアノの美しい音色が、平和のシンボルとして次の世代に語り継がれていることを伝えたい、また、実際のピアノの音色をお聴きいただきたいと思い、制作しました。


【制作後記】
フッペルのピアノを通して、次の世代に平和を語り継ぐ齊藤さんの姿を拝見し、命の尊さと気持ちの尊さを痛感しました。この作品が放送されるのは、2015年の年末の時期。戦後70年の節目の年の締めくくりに際し、フッペルのピアノの平和の音色をお届けできることと、番組を担当させていただけたことに感謝申し上げます。

2015年12月13日 (日)

山の伝統食『栃餅』その味わいに秘められた手間と技

2015年12月7日~2015年12月13日放送
福井放送 ラジオセンター 谷戸礼子

【番組概要】
福井県大野市の山里で昔から作られてきた「栃餅」。その原料となる栃の実は実はアクが強く、餅にするまでには大変な手間と熟練の技を必要とします。乾艶子さん(88歳)と山内たかさん(80歳)は今では数少ない栃餅作りの達人です。お二人の長年培ってきた栃の実の加工作業を、秋から初冬に渡り伝えます。自然と共に暮らしてきた人々のことと共に。

【制作意図】
口にすると豊かな風味が広がり、どこか懐かしさを覚える『栃餅』。飽食といわれる時代の中でも、その比較的地味で奥深い味を求める『栃餅ファン』が増えていると聞きます。しかしその味わいの裏に、たくさん手間、熟練の技、自然の恩恵があることを知る人はあまり多くありません。自然と共に暮らしてきた古老のお二人の栃の実の加工作業を通して、先人たちの暮らしの知恵や、食への感謝、自然の力を伝えます。

【制作後記】
『栃餅』はもち米の白と加工した栃の実の色が合わさって、ほのかな茶色をしています。食べるとほんのりした苦味があり独特の風味が広がります。そのまま食べれば大人の味を楽しめますし、甘い小豆やきな粉をつけて食べれば、子ども達にも喜ばれます。どこかで『栃餅』に出会う機会があったら、ぜひじっくり味わってみてください。尚、作り方のプロセスを少しでも知ると、一層おいしく感じられること請け合いです。

2015年12月 4日 (金)

妖怪村に狸が出た!~阿波山城の狸ばなし~

2015年11月30日~2015年12月6日放送
四国放送 ラジオ編成制作部 三浦審也

【番組概要】
徳島県の西部・三好市山城町は、全国的にも希な妖怪の密集地です。地元の皆さんが聞き取り調査した妖怪は、ざっと60種類、150ヶ所。そんな山城の妖怪の中で一番多いのが、狸です。恐ろしくも愛嬌のある狸たちは、山城の生活に欠くべからざる存在でした。番組では、山城の狸ばなしや、狸の行燈行列を見た人のインタビュー、子供たちに地元の妖怪文化を継承する授業などを紹介します。

【制作意図】
妖怪とは、生活の知恵です。子供には「あの川には河童がいるから泳いだらあかん」と諭し、奥さんには「狸に化かされて、気がついたら朝だった」と言い訳します。厳しい自然の中で、人々は妖怪を上手く使って生活してきたのです。そんな山城の妖怪の代表格、狸にスポットを当ててみました。

【制作後記】
山城町が「妖怪村」と呼ばれるようになったのは、10年以上に渡って地元の皆さんが行っている丹念な聞き取り調査の成果です。今回、狸ばなしの調査に同行させていただいたのですが、ちょっと雑談しているだけで「提灯の火を消す狸」の話が新たに発見されました。ナレーションでは「狸の話だけでも50も60も」と言っていますが、放送される頃には数が増えているでしょう。人の数だけ、狸もいるのかもしれませんね。

2015年11月30日 (月)

すり鉢で聴く珈琲のこころ

2015年11月23日~2015年1129日放送
青森放送 ラジオセンター 山内千代子

【番組概要】
幕末、北方警備のため津軽の藩士たちは蝦夷地(北海道)の宗谷に赴きました。厳しい冬の寒さの下、コーヒーを浮腫病の予防薬として飲んだそうです。当時の藩兵の中には農民なども多く、”日本で庶民として初めて珈琲を飲んだ人たち”と言われています。当時の珈琲を再現し、子の藩士たちの法要を25年続けている青森県弘前市で珈琲店を営む成田専蔵さんの思いをお届けします。

【制作意図】
成田さんによって厳しい冬に先人たちが飲んだであろう「藩士の珈琲」が再現されました。お話を伺ううちに成田さんが珈琲に心から魅せられ、大切にしていらっしゃるということを感じました。その思いが少しでも伝われば幸いです。

【制作後記】
成田さんが珈琲は元気をくれたり、落ち着かせてくれたり、人と人をつないでくれたりする”力”があるよね、と仰っていました。取材を通して私も改めて“一杯のありがたさ”を感じました。全国の珈琲好きの皆さん、弘前でロマンあふれる珈琲、飲んでみませんか?

2015年11月16日 (月)

鉄の音に聞く金沢の茶の湯

2015年11月16日~2015年11月22日放送
北陸放送 ラジオ放送部 内潟堅太郎

【番組概要】
石川県金沢市の茶道釜師宮﨑寒雉さん。宮﨑家は江戸時代から加賀藩の御用釜師として続く家です。宮﨑家では初代が裏千家四代仙叟宗室に釜づくりの指導を受けて加賀藩の御用釜師となり、代々宮﨑家では当主が寒雉を襲名して家業を継いできました。その茶釜は自ら土を積み重ねて形を作った鋳型に1500℃に熱して溶けた鉄を流し込んで作られます。茶釜を制作する音、炉にかけられた茶釜が発する微かな音にリスナーに耳を傾けていただき、茶の世界の伝統と様式の美しさを感じていただければと思います。

【制作意図】
茶会を開く際に亭主は訪れた客に五感の全てで楽しんでもられるように工夫を凝らすといいます。茶釜が湯を沸かす音、炉にかけられて鳴る鉄の微かな音、茶釜をつくる時の音、茶会での語らいなどから、金沢に350年にわたって受け継がれる伝統工芸を表現しようと考えました

【制作後記】
茶室で茶釜が発する音、鋳型として固められた土を削る音、これらの音について寒雉さんは「茶釜は地味な茶道具だし、音も目立たないし…」と謙遜していましたが、注意深く耳を傾けることで、鉄や土の様々な表情が感じられるような気がしました。

Iターン”~ 私たちが田舎に移る理由(わけ)

2015年11月9日~2015年11月15日放送
山口放送 ラジオ制作部 大谷陽子

【番組概要】
瀬戸内の温暖な気候に恵まれた山口県周防大島町。人口は、ここ40年で半分に減りました。2人に1人が高齢者の島です。ところが、近年、島へ移り住む若い人が増えています。三浦宏之さん(41)は3年前、ラジオ番組の制作会社を辞めて、妻とこども2人の家族4人で東京から移住しました。地域おこし協力隊の活動をしながら、お米や麦、大豆などを栽培します。東京でイベントの仕事をしていた山形岳史さん(35)は、6年前に移り住み、ことし念願の果樹園をオープンさせました。安定した収入を捨てても田舎に移りたかった理由とは?田舎暮らしの思いを聞きます。

【制作意図】
過疎化、高齢化が進み、空き家や耕作放棄地が増えていく地方。山口県にいると、常にそんな光景を目にし、話題を耳にします。どのように地域を、ふるさとを守っていけば良いのでしょうか。周防大島町では数年前、島から外へ出る人よりも、島へ移る人の方が多いという社会増の減少が起きました。それも若い働き盛り世代が多いことが目立ちます。都会での生活を捨て田舎暮らしの決断をした人たち。日々の生活やこどもの成長、人とのつながり、社会の構造…自分の人生を見つめ、どのように生きていくべきか悩んだ挙句の選択でした。田舎暮らしには、人が自然と共に生きていく上で大切にしてきた様々なものがあります。そんな価値観を少しでもお伝えできればと思い制作しました。

 【制作後記】
島に移住し、これまでの仕事の経験や知識、IT技術などを生かして、個性豊かな発想と行動力とで、新たな産業、新しい農業に取り組んでいる人たちが、周防大島にはいます。この度取材させていただいた三浦さんと山形さんが、縁もゆかりもない土地ですぐに行動できたのは、受け入れてくれる地域の人の存在があったからです。耕作放棄地の所有者と掛け合い、2人に住まいや農地を工面したのは、吉兼洋一さん(74)。若い人たちの挑戦を心から応援しています。6年前に移住した山形さんは、島に移住してから結婚、長男が生まれました。こどもたちの声が少しずつ地域を元気にしています。農業で生計を立てるには厳しい現状がありますが、これからの周防大島、これからの日本を支える力として応援していきたいと思います。

風土が紡ぐタネの物語~井川在来蕎麦~

2015年11月2日~2015年11月8日放送
静岡放送 ラジオ局編成制作部 寺田愛

【番組概要】
静岡市葵区の井川地区。大井川上流の山深い地域では、4年前から昔ながらの焼畑農法で、在来作物である「井川在来蕎麦」を栽培しています。途絶えてしまう寸前だった井川在来蕎麦のタネを大事に伝えていこうと活動している、そば店店主の田形治さんに出会い、このことを知りました。その出会いをきっかけに、風土に育まれ、守られ、そして続いていくタネの物語をテーマに焼畑の音や、そば打ち教室の様子を取材し、番組にまとめました。

【制作意図】
静岡県には、多くの在来作物があります。それは、静岡県の地形や、多様な気候によるものだと、在来作物の調査・研究をしている静岡大学教授の稲垣栄洋さんが教えてくれました。改良された作物と違い、複雑で深い味わいを持つ在来作物。ただ、改良されていない分、育てるのに手間がかかり、環境の変化や、生産者の減少でタネが途絶えてしまうことが多いと聞きます。そんな在来作物を守ろうとする人たちのつながりや、その想いを伝えたいと思い、番組を制作しました。

【制作後記】
井川の人と風土に魅せられ、井川在来蕎麦を次の世代に伝えたいと活動している田形さん。井川在来蕎麦の話をする時のキラキラした表情がとても印象的でした。便利さや効率だけでは、得られないものがある、と田形さんの表情を見ていて思いました。この番組を聴いて、土地に根付いた在来作物のような「効率化できない豊かさ」の大切さに気づいてもらえたら嬉しいです。

2015年11月 6日 (金)

夫婦で仕立てる思い出の日傘

2015年10月26日~2015年11月1日放送
中国放送 RCCフロンティア  村山太一

【番組概要】
映画の街、坂の街、古寺や古民家が数多く残る風光明媚な街、尾道。そんな尾道の中心・尾道駅のホームから見える場所に、昭和41年から傘を作り続けている店があります。竹原商店。御主人の竹原和義さんと奥様の勝子さんは従業員が減り、たった2人になった今でも傘作りをやめないといいます。その理由を探りました。

【制作意図】
尾道は今は「尾道帆布」や「尾道デニム」など、布製品のモノ作りの町としても脚光を集め始めています。それは元を辿ると、近畿と九州、山陰と四国をむすぶ「瀬戸内の十字路」として繁栄した歴史から来ているのかもしれません。尾道のモノ作りの歴史を支えた職人の音を伝えたいと考えました。

【制作後記】
和義さんのことを勝子さんは「仕事をはじめたら、他には目もくれずコーヒーも淹れない人です。」と笑います。インタビューをさせてもらっても、和義さんは傘を作ることに対して多くを語りません。ですが勝子さんは常に和義さんの作業に目を配り、作業が止まらないように声をかけ、手を動かし続けます。お2人の長年培われた「あ、うん」の呼吸は、ずっと見ていたくなるような快いやりとりでした。

2015年10月20日 (火)

学び舎、最後のマラソン大会

2015年10月19日~2015年10月25日放送
秋田放送 ラジオセンターラジオ制作部  利部昭勇

【番組概要】
秋田県秋田市の市立大正寺(だいしょうじ)小学校は、創立141年目の今年度いっぱいで、少子化などの理由から閉校となります。この小学校の恒例行事、さわやかマラソン大会。地域の商店街の通りを子供たちが駆け抜けます。大会が始まって以来、地域の人たちが沿道から熱い声援を贈る名物行事です。その中に、今年も珍田智さんの姿がありました。子供たち一人一人の名前を呼びあげる実況は、最後まで走り切る力になっているのです。来年春に閉校を控えた小学校の最後のマラソン大会。珍田さんの温かい最後の実況に耳を傾けます。

【制作意図】
少子化や学校運営の経費節減から小学校の統廃合が進んでいます。そんな地域の、小学校の記憶を音像に残したいという思いから、弊社では閉校が決まっている学校の最後の1年を、その学校の校歌とともに記録するという取り組みを始めました。秋田県内で今年度いっぱいで閉校する小学校は14校。今回は、その1エピソードを録音風物誌で紹介したいと考え構成しました。

【制作後記】
このストーリーに登場する珍田さんが話していました。「閉校する前から子供たちは都会に出て行く。都会でもまれることも大切なので止めはしない。でも、都会で疲れた時、ここに、見守って育ててきたふるさとがあることを心の拠り所にしてほしい。いつでも帰ってきて、ひと時、休んでいってほしい。そのために、俺たちは、この地域を守る」・・・地域が果たす役割をあらためて考えさせられた言葉でした。こうした地域の声に、地方局はもっと耳を傾けるべきだと襟を正された思いでした。

半世紀以上の歴史を持つ録音構成番組。全国の放送局がその土地ならではの風俗をそこでしか聞くことのできない音とともに紹介します。

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