2004年4月19日 (月)

響け酒蔵に 能登杜氏の心意気

北陸放送 ラジオ制作部 小林 万希子

新しい社会のシステムができる一方で埋もれてゆく古きよき時代の文化。石川県にも近代化とともに埋もれていった労働歌がありました。能登の杜氏が歌っていた酒屋歌です。

早朝の作業の眠気覚ましに、季節に合わせて顔をあわす労働者たちの気持ちを合わせるために、時計代わりに、歌われたそうです。

いまでは知っている人はいるものの実際の作業では歌われていないそうです。しかし、その一方で、郷土の文化を守ろうとがんばっている人たちもいました。

「ちょんかり保存会」という地元の民謡を歌い継いでいる会です。特に今年は能登杜氏の酒の品評会が100回を数えるということで、記念行事で「酒屋歌」を披露します。

メンバーは杜氏ではないですが、酒が死ぬほど好きという人たちばかりです。

違った形ではありますが、今のところ能登流の酒屋歌の歌声は消えることはないようです。

2004年4月12日 (月)

神様の里に春がきた~おた福ちんどん屋 活動開始

宮崎放送 ラジオ局 湯浅和憲 島埜内 諭

「天孫降臨」の高千穂に五人ババアの神様が舞い降りた…。」 張りのある口上で、にぎやかな ちんどん屋の演技が始まります。宮崎県高千穂町の「神のおた福ちんどん屋」は平均年齢75歳。

リーダーの戸髙タズさんをはじめ地元の仲良しメンバーで結成され、今年で6年目を迎えます。結成のきっかけは地区の余興でした。

出し物を何にしようかと考えたところ、腰の曲がった格好悪さを隠すため変装を思い立ち、ちんどん屋のまねごとをしたのが評判となりました。

以来、祭りや慰問などの出演依頼が相次ぎ、メンバーもみるみる腕を上げて、素人ながら全日本チンドンコンクールで優秀賞に輝くまでになりました。

寒い冬は活動も休みですが、すぐに勘を取り戻します。3月に入って早速、地元の老人ホームを慰問。派手な化粧に手作り道具で練り歩くと拍手喝さいを浴びました。

元気いっぱいの演技が、自分たちよりも年下の“お年寄り”たちに元気を分け与えているようでした。「神のおた福ちんどん屋」は現在 公演140回、ことし公演200回をめざして元気いっぱいです。

2004年4月 5日 (月)

サヌカイトに魅せられて

西日本放送 ラジオ放送部 片岡 三佐子

香川県には「カンカン石」と呼ばれている音の出る石、「サヌカイト」があります。最近では楽器としても注目され、その美しい音色に魅せられた、多くの音楽家がこの楽器を使って演奏活動を行っています。

しかし、サヌカイトから美しい音を取り出すには、大変なご苦労があります。その苦労をしても、石に魅せられ石と暮らす人がいます。そのお一人、宮脇馨子さんを取材しました。

お宅には何百という石がありましたが、どの石も手放したくないというほど石への思いは強いものがありました。サヌカイトの美しい音色とともに、宮脇さんの思いを感じていただければと思います。

2004年3月29日 (月)

胡弓の音色、長崎の街に流れて

長崎放送 ラジオ局放送制作部 中河原 真紀

今回の主役は中国人留学生、李文馨さん。9歳の時に初めて胡弓に出会った彼女はめきめきと才能を発揮します。

上海劇曲学院で胡弓と京胡(京劇に使う胡弓)を習得後、上海京劇院に就職すると同時に、上海音楽学院で民族音楽を習得。香港、シンガポール、マレーシアで公演するなど胡弓演奏家としての地位を確立します。

日本には2003年4月にやってきました。日本文化の勉強と胡弓を日本に紹介するためです。李さんはふるさとの上海に似て山や海、自然が美しい長崎を選んで来日しました。

長崎には華僑が約600程います。李さんは、はじめは、こんなに華僑がいることを知りませんでしたが、ランタンフェスティバルを通して華僑と触れ合います。

華僑の人たちの福建省の言葉と李さんのふるさと上海の言葉、そして長崎弁とで交流しました。伝統的な音楽を基に様々な曲のジャンル、新しいスタイルをどんどん吸収していく李さんはこの春から大学生です。

2004年3月22日 (月)

二ツ井町 杉の音色の物語

秋田放送 ラジオ局ラジオ放送部 三ツ井 雅夫

5年前 秋田県二ツ井町という日本一の秋田杉の産地で、使い道がないとすてられた小さな木片や枝を利用してコカリナという楽器を製作・販売しようという町おこしが計画された。

町の活性化のために、製作に苦労した木材加工職人の話や学校全体でコカリナの演奏に取り組んでいる二ツ井町切石小学校の姿を紹介する。

2004年3月15日 (月)

復活! 静岡のみかん踊り

静岡放送 ラジオ局ラジオ制作部 篠宮 康彰

静岡市北部の麻機地区では、かってみかん栽培がさかんに行われていました。静岡・清水のみかんは、清水港からカナダなどに輸出されました。
しかし、今では愛媛や和歌山との競争に負け生産は減る一方です。

みかん栽培が盛んなころ、静岡市内で毎日のように流れていた曲があります。「みかん踊り」です。この「みかん踊り」を復活させようとしている佐藤さんを紹介します。

2004年3月 8日 (月)

勝鬨橋を開こう

文化放送 編成局報道制作部 高橋 民夫

東京都中央区の晴海通り、隅田川の河口に架かる勝鬨橋は昭和15年に完成し、中央部が二つに割れて跳ね上る「双葉跳開橋」として有名な橋でした。

それが交通など諸事情で開かれなくなり、昭和45年11月、点検のために開閉したのを最後に「開かずの橋」となってしまいました。

それから30年余りが経過し、最近、再び“勝鬨橋”を開こううという動きが見られます。昭和22年生まれで、子供のころ、幾度も開閉する様子を見たことがある、高橋民夫が再び開こうと活動する周辺の人々を取材しました。
 
それらの人々の目の奥にはゆっくりと開閉する勝鬨橋とその下を流れる隅田川が写し出されているようでした。

2004年3月 1日 (月)

南阿蘇の「冬灯り」

熊本放送 ラジオ本部ラジオ局 原武 博之

熊本県阿蘇郡西原村。ここは南阿蘇の中で、唯一阿蘇外輪山の外側にある村。熊本市に隣接しているだけに阿蘇とイメージとは余り結びつかない。

また、通称「お池さん」と呼ばれる湧水池「揺ヶ池」以外に、これといって有名な場所もない。南阿蘇の玄関口でありながら難所の俵山峠が行く手を拒んでいる。

昨年10月南阿蘇住民念願の「俵山トンネル」が開通した。距離にして3km短縮されただけだが、冬場の道路凍結の心配もなくなった。

村の商工会が始めた冬のイベント「冬灯り」は、お池さん入口にある馬頭山をキャンドルの炎で包もうというもの。村人の協力は得られたものの、村外へのアピールが今ひとつ足りない。

トンネル開通というこの機会に周辺市町村に、この「冬灯り」を認知してもらいたいという商工会の上田博之氏の願いは強い。

2004年2月23日 (月)

ネバーギブアップ・高知競馬のハルウララ

高知放送 編成報道局報道センター 河内 真

負け続けることで 全国の人気者になったハルウララ(8歳・牝)。2月12日現在で103連敗と、ファンの期待(?)に応え続けています。

本来ならば 弱者は切り捨てられる競走馬の世界でハルウララが走り続けられるのは「生き物を人間の都合で処分できない。私は調教師に向いていない」と語る宗石大調教師の親心です。

そんな宗石調教師の思いと、ハルウララの姿が感動を呼び、高知競馬場の来場者も増加。存廃に揺れる高知競馬にも明るい兆しが出てきました。

今回は、ハルウララが100戦目に挑んだ1日の様子を中心に今後の初勝利への期待を込めて制作しました。

※ハルウララは 今後、2月15日、29日に出走予定です。
BGMに使用したハルウララの歌(ハルウララ~ただひたすらに)は、宗石調教師の作詞、歌は高知競馬広報の方が歌っています。

2004年2月16日 (月)

モンペオバサンのストーヴ列車

青森放送 ラジオ報道制作部 藤田 晴央

津軽平野の北にある五所川原市から、さらに北へ津軽中里駅まで走っている津軽鉄道には、冬になると“ストーヴ列車”が走る。ダルマストーヴが社内を暖めているのである。

この雪国の風情を求め、関西や九州から観光客がたくさん訪れる。こうした遠来の客に対して、ボランティアでガイドをつとめているのが、地元の主婦、原慶子さん。

モンヘをはいてのサービスに、“モンペオバサン”の愛称が定着。赤字鉄道には対応できる従業員がいないため、モンペオバサンは、沿線の解説はもとより、津軽弁について教えたり、地酒を配ったり、大忙し。

1月、2月、3月は殆ど毎日乗って、ストーヴ同様、ゴォゴォと燃えている。リスナーには、この“ストーヴ列車”に乗った気分になってもらえたら、というのが制作意図である。

半世紀以上の歴史を持つ録音構成番組。全国の放送局がその土地ならではの風俗をそこでしか聞くことのできない音とともに紹介します。

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