2005年6月20日 (月)

遥かなる沖ノ鳥島

文化放送 報道制作部 高橋 民夫

東京都小笠原村、沖ノ鳥島へは、港区の竹芝桟橋から「おがさわら丸」(6700トン)で、丸二昼夜、距離にして焼く1,750キロ。

位置としては台湾の中ほどにあたり、気温も29度位、サンゴ礁の中にある東小島に知事が上陸したのは平成17年5月20日の14時50分頃。

太陽の陽光をさえぎるものは何もない中、石原知事は中国を意識した言動を表しましたが、当番組ではあくまでも沖ノ鳥島での今後の経済活動に関する可能性や期待などを取材しました。

往復4昼夜の船旅での取材は少々辛いものがありましたが、一生のうち2度と経験できないと思われる貴重な取材体験でした。

2005年6月13日 (月)

わっ!! しゃべった

熊本放送 ラジオ編成制作部 高野 泰宏

水俣市の「湯の児スペイン村福田農場」に今年4月、声の出るポストができました。声の出るポストがあるのは九州では長崎市役所前とここ福田農場だけです。

このポストは水俣市深川地区にあった円柱型のレトロなポストを移設したものです。水俣市では地域おこしのキーワードに「古いものに戻ろう」というものがありました。

まず、ポストが設置された理由ですが、福田農場では、エコはがき体験を実地しており、体験者から「ここでつくったはがきを手紙として出したい」という要望があったのが一つの理由です。

また、福田農場の福田社長から「最近、Eーメールが全盛の中、古くて温かみのある手紙のほうがいいのでは」という意見があったのも理由です。

では、なぜ声が出るものになったかといいますと、ポストという改造に規制があるもので、可能な面白い仕掛けは声を出すというものだったのです。

このポストはボタンを押すと「ありがとう。おくりまーす」など2~3種類の声を出します。声を出るようにしたのは、地元、水俣工業の機械科の生徒でした。

これは福田社長が勉強の一環として、依頼したものです。現在はボイスレコーダーとスピーカーを取り付けたものですが、現在ソーラーセンサーで声が出るように研究開発中ということです。

また、水俣工業の生徒は廃材を使って、このポスト用の看板を作っています。このポストを見た観光客はどんな反応でしょうか?

地域住民の協力で誕生した、声の出るポストは地域おこしのシンボルとなっていくのでしょう。

なお、このポストには「夢のあるポスト」という名前が付けられています。これは福田社長が「水俣での感動を広く伝えてもらおうという意味を込めたものです。

2005年6月 6日 (月)

飛べ! 巨大ラジコン

高知放送 報道センター 福田 耕

高知県・四万十川で開かれたラジコン大会に人が乗れそうな程の巨大なラジコン飛行機が登場した。

実は、この飛行機を作った山崎卓さん(当時82才)は、この飛行機が飛ぶ姿を見ることなく去年の暮れに他界した。山崎さんの遺志を継ごうとラジコン仲間が立ち上がり、今年、再びラジコン大会に挑んだ。

去年、テレビの取材で知り合った山崎卓さん、80才を過ぎているのにも関わらず、少年のような笑顔でラジコンに興じていた。

山崎さんの人柄と巨大なラジコンに興味をひかれ取材を続けていたが、突然亡くなったという知らせが…。ラジコン仲間が山崎さんの飛行機を飛ばすという話を聞き、我々としても、山崎さんの追悼という意味も含めて、もう一度企画を作りたいと思いました。

2005年5月30日 (月)

民謡はふるさとの宝

青森放送 ラジオ編成制作部 小杉 陽彦

青森県田舎館村では、前の村長が東京で開かれた会合の席で「津軽出身なら何か津軽民謡を一つ披露して欲しい」とリクエストされたが歌うことができなかったことから、「これではだめだ」と7年前から村内3つの保育所で民謡教育をスタートさせました。

津軽民謡の指導を依頼された沢 久雄さんは、ひらがなも読めない子供たちに口伝えで民謡を教えていき、子供たちは周囲の大人たちが驚くほど早く、次々と覚えていきました。

子供たちは村内の様々なイベントで、元気な歌声を披露し、自信をつけて、毎年小学校へと進学していきます。

沢さんは、最近、小学校でも津軽民謡を教えており、この8年間で、村の人口の2割を超える、1,600人以上の子供たちに指導していて、将来、子供から大人まで民謡を歌える田舎館村の姿を夢見ています。

2005年5月16日 (月)

音戸町最後の日の「音戸の舟唄」

中国放送 ラジオ制作部 面出 成志

平成17年3月20日、広島県安芸郡音戸町は、呉市と合併になり、単独町制が終わった。

広島市内を中心にライヴ活動を行っている音戸町出身のミュージシャン、プロベーシストの中野力さんは合併前に故郷に音楽で何かを残したいと、音戸の舟唄を現代風にアレンジして演奏することを決意。

ライヴの日は、音戸町最後の日、3月19日。しかし、プロになって初めて故郷でコンサート。日本の三代舟唄をアレンジしていいのか?地元の人は喜んでくれるのか?悩みとプレッシャーでなかなか曲ができない。

そこで、音戸の舟唄保存会、副会長の中下利枝子さんをたずねる。生の舟唄を聞いて何かを感じた…。

伝統的な音戸の舟唄、音戸の誇りでもある音戸の舟唄を次の世代に伝えていきたい思いは一緒。

そして、平成の音戸の舟唄が完成し、音戸町最後の日に地元の人を前に披露した…。中下さんの反応は…。地元の人の反応は…。

2005年5月 9日 (月)

奄美発・島唄サンシン侍参上!

南日本放送 ラジオ制作部 冨山 貴司

奄美の島唄に欠かせない三味線を、地元の人は「三線(サンシン)」といいます。名瀬市の浜川昇さん(72歳)は、そのサンシン作りの名手で、全ての工程を手作りするのは浜川さんが島でただ一人。

自分の作ったサンシンで、大好きな島唄を唄いたい! という思いから島唄教室まで開き、後継者探しまで行う浜川さんの元気な姿、力強さを番組に投影しました。

浜川さんを“サムライ”と呼んだのは、後継者がいない、言わばサンシン作りの“ラストサムライ”に思えてならなかったからです。

2005年5月 2日 (月)

世界へひびけ雅楽の調べ

京都放送 ラジオ制作グループ 坂下 かつ子

雅楽を広く一般に普及させようと「いちひめ雅楽会」を発足し、活動されている宮司、飛騨さんに雅楽についての思いをききました。

会員である学生さんの生演奏を聞き楽器を見せていただいて、これをこのまま伝えられれば、きっと雅楽のイメージも変えていけるのではと思いました。

何より飛騨さんの熱い思いが、ひとつひとつの言葉にあらわれていつので、それを編集によってこわさぬよう心がけました。

取材から帰る際、“あなたも習いませんか?”と誘っていただいたので、現在思案中です。

2005年4月25日 (月)

中津江村~平成の大合併の中で

大分放送 ラジオ編成制作部 工藤 由美

2002年夏に開催された日韓ワールドカップ。
日本中の注目を集めたカメルーン代表チームの遅刻騒動で、一躍全国区になった中津江村が、平成の大合併で日田市に編入合併されました。

当時の村長、坂本 休さんや村人の、今の気持ちとこれから中津江村はどうなっていくのかを取材してきました。

2005年4月18日 (月)

よみがえった青苧織り

山形放送 ラジオセンター 武田 美賀子

山形県南陽市は、江戸時代の始めころ、青苧は米沢藩の特産品として、租税として納め、「米沢苧」の名前で市場に輸送されていました。

当時青苧は衣服の原料として、奈良晒や越後上布になっていましたが、時代を経て、化学繊維の需要に伴い、手数のかかる青苧の繊維は置き去りにされました。

現在、青苧を原料とする織物があるのは、山形県南陽市、昭和村、宮古島のみです。南陽に青苧織りがよみがえったのは平成元年に「ふるさと創生」によってでしたが、そのきっかけを作ったのは、地元で織物を続けてきた川合ひさ子さんです。

今回の番組では、川合さんの青苧織りに対する思い、そして青苧織りがどんなに手間のかかる製品か、ということを紹介しています。

※5月7、8日、東京銀座のしゃれぎやギンザショールームで南陽の「青苧織り展」が開催されます。

2005年4月11日 (月)

水の音を聴く~八女(やめ)・手すき和紙職人

RKB毎日放送 ラジオ制作 P永渕・D吉村

福岡県筑後地方を流れる矢部川の中流域の八女地区では、昔から「手すき和紙」作りが盛んである。

その手すき和紙職人は、水の音を聞き分けながら和紙と向かい合い、その伝統を守り続けている。

工程の一つに挙げられる「手すきの音」を背景に、現場で若い人たちにその技術を継承していく先輩職人たちの思いを描く。

半世紀以上の歴史を持つ録音構成番組。全国の放送局がその土地ならではの風俗をそこでしか聞くことのできない音とともに紹介します。

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