コンテナみかん
熊本放送 ラジオ編成制作部 高野 泰宏
番組内で使用したコントの風景、実はRKKの公開録音に出演したときのものです。
地方の祭りは夕方から夜にかけて開催されることが多いため、田中さんは、みかんの収穫を終えて作業着のまま、軽トラに乗って会場入りすることがあるそうです。
そのときに会場入り口で出演者と思われないで、止められることがよくあるそうです。
熊本放送 ラジオ編成制作部 高野 泰宏
番組内で使用したコントの風景、実はRKKの公開録音に出演したときのものです。
地方の祭りは夕方から夜にかけて開催されることが多いため、田中さんは、みかんの収穫を終えて作業着のまま、軽トラに乗って会場入りすることがあるそうです。
そのときに会場入り口で出演者と思われないで、止められることがよくあるそうです。
中国放送 ラジオ局ラジオ制作部 延藤 靖
けん玉は、誰もが一度は試したことがある遊びです。でも、その由来はあまり広く知られていません。実は、いまのけん玉の形は広島県にルーツがあるのです。
大正時代廿日市市という町でいまのけん玉が生まれました。
そのせいか、広島市は昔からけん玉が盛んです。特に熱心な指導者が多く、その一人、広島市に住む今田弘武さん(56歳、日本けん玉協会認定八段)は、みんなからけん玉名人と呼ばれています。仕事づとめのかたわら、休みの日には学校や公民館を訪れ、子供たちにけん玉の楽しさを教えています。
教えた子供の中には、去年と今年の全国大会でV2を果たした小学生もいるほどです。「けん玉は失敗の連続。だからこそ、できるようになった時の喜びを味わってもらいたい」それが今田さんの強い思いです。
広島では、けん玉の試合や大会も盛んです。10月20日に開かれた「廿日市市けん玉道選手大会」には、県の内外から70人が参加しました。
もともとけん玉は、オランダから伝わったとも、中国からとも言われていますが、いまより少し細くロウソクたてのような形でした。大正7年、広島県呉市に住んでいた江草濱次という人物がいまの形を考案し、昔から木工業の盛んな廿日市で製造されるようになりました。
父親の代からけん玉づくりを受け継ぐ西村保宣さん(65歳)は、昭和40年代には、毎日1000個近くを作っていたそうです。
今田さんたちの」熱意が実り、今では体育の授業として小学生や大学でもけん玉が教えらています。いまのけん玉が誕生して、すでに80年余り…。
広島の街には、今日もその響きがこだましています。
《制作意図》
けん玉発祥の地である広島県には、その長い歩みがあり、また、けん玉を人間形成に生かそうと熱心に取り組む人々がいます。単なるこどもの遊び、おもちゃというイメージを越えて、その音色が響いていることを伝えられたらと思っています。
《こぼれ話し》
けん玉大会の取材には、別の会場(10月13日)にも出かけましたが、これは不発に終わりました。会場が屋外だったので、けん玉が響かず、ほとんど音が拾えなかったのです。けん玉の録音は、やはり室内に限ります(笑)。
青森放送 ラジオ報道制作部 藤田 春央
津軽地方には、旧暦8月1日の前の日、岩木山の中腹にあゆ岩木山神社に集団で参拝する行事があります。
実りの秋を迎え、五穀豊穣、家内安全を祈願する民間信仰の行事で“お山参詣”と呼ばれています。
この“お山参詣”には、「サイギサイギドッコイサイギ…」という唱え言葉と、鉦、笛、太鼓による登山囃子がつきもの。津軽各地から人々が、「サイギサイギ…」と唱えながら、ヒバをテープ状に削ったものをたれ下げた御弊をおしたてて岩木山に向かって行進する様子は、とても風情があります。
また貴重な民俗行事の音の記録の対象でもあります。そこで、番組では、この“お山参詣”に同行取材し、その“風物”を録音構成いたしました。
東海ラジオ放送 報道部アナウンス課 奈良 まなみ
秋の味覚・ぎんなん。愛知県には国内のぎんなん生産量第1位で130~140t(H13データ)と、およそ3割を出荷している。全国No1のシェアの内、県内西北部に位置する中島郡祖父江町で大体の8割の生産を誇る。
なぜ、ぎんなん生産が広まったのだろうか?一般に街路樹などのぎんなんを拾うと土に埋めて肉質の外側を腐らせるというが、生産を目的とするぎんなんはどのような手順で商品化されるのか?
祖父江ぎんなん生産者、加藤元一さんを取材した。
ぎんなんが実ると、街路など独特の匂いが広がる。また、扱いの中、外皮でかぶれるなど、一般に嫌がられることが多い。しかし、それとは対照的に祖父江町では、収穫が済んだあとの10月~11月にかけて、町じゅうが黄金色に染まる。
全国から取材依頼のある黄葉は、町の人にとって、ぎんなんと共に自慢の1つである。
高知放送 ラジオ局 渡邊 護
高知市の西隣の町、伊野町は、人口2万5000.明治の時代から和紙の生産地としての長い歴史があり、「紙の町」として知られています。
この町で紙産業に関係する町民は1000人、手すき和紙職人は11人です。中でも去年の秋、手すき和紙職人として人間国宝に認定された、浜田幸雄さんは、薄さ0.03ミリ、「カゲローの羽根」といわれる「土佐典具紙」の唯一人の手すき和紙技術を持つ人として知られています。
この浜田さんをとりまく人々の姿を追いながら土佐和紙の産地として知られる伊野町を紹介します。
南日本放送 ラジオ制作部 宮川 由紀江
鹿児島県の南に浮かぶ奄美大島。
今年、元ちとせのブレイクで奄美の島唄がにわかに脚光を浴び始めた。
その奄美大島に伝わる島唄よりもずっと昔から唄いつがれているのが「八月踊り」。
八月踊りは、旧暦の八月に奄美の各集落でそれぞれ行われる。五穀豊穣を願い、輪になって“ちぢん”と呼ばれる太鼓のリズムにのって、夜通し唄い、踊られる。
島唄が三味線を伴って、1人で唄われるのに対し、八月踊りは男女20人ほどで行われる。 また、島唄には目立った動きはないが、八月踊りには手、足の動きや形がある。この踊りと唄は、各集落ごとに異なっており、その集落の中で、人から人へと踊り唄いつがれてきたものなのである。
KBS京都 ラジオ編成制作部 奥田 靖彦
京都・洛北の名刹、詩仙堂丈山寺は、江戸期の文人、石川丈山が59才の時、隠せいのため造った庵で90才まで住み続けました。
その庭園に響く、僧都=添れ=鹿おどしは日本で初めて庭園に取り入れられたものと伝わっています。
寺を維持する14代目住職、石川順之さんと、僧都の竹選びなど、庭を守る庭師の小西良明さんにその思いを聞きました。
大分放送 ラジオ制作部 古川 能久
大分県臼杵市。
ここには30年間一度もデザインを変えることなく「生産」、「販売」、「施工」まで全てをやってしまうという九州でもめずらしい「松尾粘土瓦工場」がある。
そこで働く四代目の松尾吉公(よしひろ)さんは「工場」を継ぐだけでなく、「父親の職に対するこだわり」を受け継いだ。
瓦業界の将来に不安を感じつつも、「30年間変わらない瓦」を死ぬまで守り続ける松雄さんにお話を伺います。
山形放送 制作部 野々村 美賀子
初めて、カエル砂の音を聴いた時の感動を伝えられればと思い制作しました。
砂の音だと思うと不思議な気持ちになりますし、500万年前の砂だと思うとなぜか浪漫も感じてしまいます。
全国の皆さんに、この不思議な声を知ってもらって、この音が守りつづけてゆく自然環境の大切さに、あらためて気付いていただければ幸いです。
同志社大学の三輪先生の電話インタビューが少し聞きづらかったこと、お詫び申し上げます。(遠方のため取材に直接うかがえませんでした)
RKB毎日放送 ラジオ局ラジオ制作部 服部 義夫
黒板は、最も古くからある教育メディアのひとつです。
また、多くの授業は、黒板を通して行われています。
誰もが、その存在は知っていても、その黒板がどのようにできてくるのか、意外に知られていません。
そこで、今、夏休みを前に、かき入れ時をむかえている、国産黒板の発祥の地、“福岡”で、会社としては一番古い福岡黒板(1907年、明治40年創業)という会社の工場を取材し、
“なぜ福岡が国産黒板の発祥の地なのか”
“黒板が出来あがる様子”
“機械化が進む中で、いまだ手作業でしかできない職人の技”を探ります。
“黒板”という響きの中にある郷愁を感じてもらえたらと思います。
こぼれ話しとしては、
黒板が福岡で生まれたことを福岡の人のほとんどが知らないこと。
さらに、少子化や環境問題、リサイクルなど、課題を抱える中で、この福岡黒板では、磁石を使った黒板を考え出し、福岡発の学校黒板が全国でじわりと売れていること。
注射器を持つ指先の力の加減で、その太さが変わるのにはビックリしました。