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2019年10月

2019年10月29日 (火)

和の心が鳴らす太鼓と鉦

2019年11月4日~2019年11月10日放送 
山形放送 報道制作局制作部 堀田孝

【番組概要】
山形県山形市の豊烈神社で、毎年10月6日例大祭に合わせて騎馬打毬の試合が行われている。打毬は馬にのり、約75cmの毬杖の先に毬をのせ、2・7m先の的穴めがけて投げ入れる競技。紅白に分かれて白が入ると太鼓の音、紅が入ると鉦の音が鳴らされる。現在、打毬が定期的に行われているのは宮内庁と青森県八戸市、山形市の3か所だけ。約200年続く打毬を後世に残そうと、豊烈神社には打毬保存会が設立された。しかし、会員の平均年齢は49歳とやや高め。今年2人の新人が入ってきた。一人は打毬を山形に伝えた水野家家臣の末裔、水野優介さん(37)、山形市立第一小学校の「打毬クラブ」1期生の田村翔さん(35)。乗馬もほぼ初体験ながら夏から練習を重ね、いざ本番に臨んだ。

【制作意図】
国内で定期的に行われている打毬は3か所だけという貴重な競技。山形県の指定無形民俗文化財にも指定されている。ニュース映像では毎年見ているが、一度足を運ぶと奥深い競技。豊烈神社の地元では、全国的に珍しい市立第一小学校の打毬クラブがあり、馬に乗らず走りながら毬を投げ入れる「徒(かち)打毬」を行っている。打毬保存会が子どもたちの指導にあたっている。この一期生が今回保存会に入会し、地域あげての打毬への取り組みが実を結んだ形。さらに水野家ゆかりの男性も入り、これからも打毬を後世に伝えていただきたい。

【制作後記】
打毬の起源は古く紀元前6世紀の古代オリエントのペルシャ(現イラン)だとか。これが
西欧に伝わったものが「ポロ」となり、シルクロードを東進し唐(現中国)を経て平安時代に
伝えられたのが打毬という歴史にロマンを感じました。さらに、豊烈神社の打毬は宮内庁に伝わるものとほど同形だそうで、昭和25年には三笠宮崇仁殿下をお迎えし、宮内庁と公劉試合を行ったとのこと。元号が変わった年にこの番組で放送できることに不思議な縁を感じ、また、令和でも交流試合をやってくださるとうれしいんですが…。

歯ごたえが命!火力マックス、豪腕鍋ふり~大分のまち中華・にら豚~

2019年10月28日~2019年11月3日放送 
大分放送 ラジオ放送制作部 植村裕

【番組概要】
全国有数の「にら」の産地である大分市。その「にら」を使った大分市発祥メニュー「にら豚」。豚肉とキャベツといっしょに炒め醤油ベースの味付けをした料理。発祥と言われる大分市の中華料理屋「王府」では注文して、わずか1分で料理ができあがる。その手軽さと美味しさで人気ナンバーワンメニューである。注文が入ると活気のいい店内から、小気味よく包丁の音が聞こえ、中華鍋で強く炒められ、あっという間に完成。空腹の客が待つテーブルへ運ばれる。大分市は「にら」の消費拡大を図り、「にら豚」を新たな名物として売り出している。その活気の模様を届ける。

【制作意図】
大分市では古くから馴染みのある中華料理「にら豚」大分市が「PR大作戦」を打つほど全国的な認知度が全くない。その事実に驚きました。「関アジ・関サバ」「からあげ」「温泉」に続く名物になって欲しい全国の人に知ってもらいたいと思い制作しました。 

【制作後記】
にら豚発祥のお店と言われる 大分市内の中華料理屋 王府店長の糸永さんは料理人歴およそ50年。インタビューをするときは優しいおじいちゃんのような方でしたが、いざ厨房に入ると目つきが変わりにら豚を素早く作り上げます。重い中華鍋をたくましい腕で何度も振る姿を見ると、年齢は全く感じませんでした。その糸永さんから大分県内の中華料理屋に広がった「にら豚」大分にお越しの際は是非ご賞味ください!!

丘の上の保育園 55年変わらないもの

2019年10月21日~2019年10月27日放送 
琉球放送 ラジオ局編成制作部 久田友也

【番組概要】
番組の舞台となった「緑ヶ丘保育園」は、沖縄本島中部・宜野湾市に古くからあるバプテスト教会が、1964年に設立した認可外保育施設だ。宜野湾市は住宅密集地だが、希少な緑が残された一角の、小高い丘の上にある。鳥のさえずり、虫の声、様々な自然の音が、子どもたちが裸足で駆け回る園庭にまで届く。園の設立当初から保育に携わる名護タケ先生は、園に勤めて55年。県民の生活が今よりもずっと貧しかった頃から、園の大黒柱として、地域の人々の生活を支えてきた。親・子・孫3世代で卒園生、という世帯もある。恵まれた環境に思えるこの園では、鳥や虫の声の合間に、まったく異質な音が紛れ込む。米軍機の騒音だ。普天間基地の滑走路から約1キロの場所に位置する緑ヶ丘保育園。2017年には「飛ぶ前に外せ」を意味する「REMOVE BEFORE FLIGHT」と書かれた米軍ヘリの部品が、ワイヤーが千切れた状態で、1歳児の部屋の屋根の上で見つかった。騒音に慣れていた保護者たちは「魔法が解けた」ように危険を感じるようになり、空の安全を求めて声を上げている。

【制作意図】
鳥や虫の声、子どもの声というごく普通の生活の音と、米軍ヘリの音を対比させたつもり。その土地ならではの風俗、という基本から逸れるのではないかとも考えたが、そこでしか聞けない音ではあるということで、取材を決めた。番組の趣旨にそぐわないのであればそのような評価も甘んじて受けたい。さて、ひと口に米軍ヘリの騒音と言っても、沖縄県内でも騒音被害には温度差がある。那覇市まで離れると、多くの人はほとんど意識しない。しかし宜野湾市、とくに普天間基地の滑走路両端周辺の人々は、深刻な不安・悩みを抱えている。見えるところにいても熱さを感じないロウソクの炎でも、手をかざすと熱さで痛みを感じるのと似ている。全国のリスナーの耳にわざわざ騒音を届けるこの作品を通じて、米軍ヘリの騒音を普段意識せずに生活できる自分との温度差を見つめてほしい。


【制作後記】
名護先生のインタビューは1時間に3度中断した。米軍ヘリの騒音のせいだ。途中、「普天間基地の近くにいる人が悪いという悪態もよく聞くけどね」と声を落として語った言葉。理解されてこなかった悔しさがにじんだ。園設立当初の緑ヶ丘保育園の園児たちは、フェンスもなかった普天間基地の敷地内へコオロギを獲りに散歩に出かけた。それほど基地と住民は近かった。無理もない。土地を奪われた人が、その近くに住んだだけだ。しかも、滑走路の両端周辺、約3,600人が居住する地域が、米国内であれば土地の利用が禁じられ、安全基準に抵触することが明らかになったのは2007年になってからだ。緑ヶ丘保育園もその中にある。普天間基地を使い続ける人たちの人命軽視の姿勢と、使わせ続ける日本側の人たちが、危険を継続させている。これを書いている途中(10月22日)、新聞を手に取ると、今度は嘉手納基地の機体が3.6㎏の部品を落としたニュースが1面トップだ。親たちの「鳥だけが飛ぶ空を」という願いは、過剰な要求だろうか。

2019年10月15日 (火)

生活をつなぐ海の道 高知県営渡船に乗って

2019年10月14日~2019年10月20日放送 
高知放送 ラジオ編成制作部 野口賢明

【番組概要】
太平洋に面した、高知県高知市のほぼ真ん中にある浦戸湾。浦戸湾では地域の人たちが利用する高知県営渡船がいまでも運航を続けています。その昔は手こぎ船などで湾を行き来していましたが記録を辿ると、エンジン付きの今の県営渡船の形になったのはおよそ70年前。以来、湾の対岸にある造船所に向かう人や、買い物に行く人、また通学に使う人など、地元の人たちの生活を支えています。しかもこの渡船の航路は、全国的にも珍しい、海の上を走る県道に指定されています。また四国霊場八十八カ所を歩いて回るお遍路さんにとっても最短のルートとなります。ところが、今から20年ほど前、湾の入り口にかかる橋が無料化されたことに伴い、一時は航路の廃止が議論されたことがありました。しかし航路を残してほしいという地元の人たちの願いによって航路は存続することになりました。地元の利用者やお遍路さんの声を聞きながら、海の道を穏やかに走る高知県営渡船を取材しました。

【制作意図】
現代の車社会において、交通手段の効率化というのは行政にとっては大切な課題だと思います。しかし、湾の対岸に渡るために最短距離で、しかも無料の渡船をこれまで日常的に利用していた人たちが、湾の出口にかかる橋が無料化されたからといって、その橋を渡ることは、非常に遠回りであり、車を持たない高齢者など交通弱者にとっては難しい現状があります。行政が運航するということは、税金を投入することになりますが、地域の人たちの足として、また四国の文化である八十八カ所巡りの歩き遍路にとって大切な意義をもつ高知県営渡船の日々の様子を伝えたく取材しました。

【制作後記】
県営渡船は平日は1日20便運航し、船長と船員2人のあわせて3人で運航しています。運行自体は日々淡々としていますが、お客さんを安全に運ぶという海の男の誇りを持ちながら業務にあたる寡黙な姿が印象的でした。また渡船を利用するお客さんは、ほぼ毎日利用している人が多いようで、生活の一部として欠かせないもののように感じました。税金を使っての運航とはいえ、地元の人たちにとっては無くてはならないものであることに違いはありません。今後、過疎高齢化などで、渡船の利用者が減少していくことも考えられます。例えば船を小型化したり減便するなどして運航形態を変える、また要望があれば湾内を巡る観光遊覧船のような使い方も考えられます。いずれにしても地域の足として残していくことが大切ではないかと感じました。

尾道水道を渡る~60円の近道~

2019年度録音風物誌番組コンクール 最優秀賞受賞作品
(再放送)

2019年10月7日~2019年10月13日放送 
中国放送 RCCフロンティア 立分美有

【番組概要】
広島県尾道市の南側に、向島と呼ばれる島があります。その向島と尾道の間には「尾道水道」という幅300mもない海峡があり、その海峡をひっきりなしに小さな渡し船が行き交っています。50年前に島への橋ができたにもかかわらず、向島の中心部から尾道駅に向かうには遠回りになる為、今でも渡船を利用する人が多くいます。尾道水道を往復する渡船は3社ありますが、その中でも運賃60円で一番安く乗れるのが今回取材した福本渡船。しかし、船員の高齢化による船員不足により、現在午前中と夕方以降のみの運行となっています。運休となると遠回りをするか、別の渡船を少し高いお値段で利用するかの二択。では実際、福本渡船がどれだけ早くて便利なのか?ということを、全国の視聴者にも体験していただきたく、実際に船を待つ時間から乗って降りるまでの一連の流れをノーカットでお届けします。

【制作意図】
住民の足として欠かせない渡船。お値段が安い、そして乗船時間が一番短いといった理由から学生が多く利用するのが福本渡船。特に朝のラッシュ時の船内は、自転車ごと乗船する多くの学生であふれかえっています。そんな学生の足として欠かせない渡船が、日中は運休状態になっているという現状と、どれだけ便利な交通手段で、どれだけ早いのかということを知っていただきたく制作しました。実際の乗船時間を使って制作しています。体感してみてください。

【制作後記】
操縦室内でのメディア取材は基本的に断っているそうですが、ラジオの取材なら入ってもいいよと特別に許可をいただき操縦室へ。想像していた船の操縦とは程遠く、ハンドルではなく、たくさんのレバーを使い、複雑かつ繊細に操縦されていました。取材をした船長の栗本さん曰く、「他の船と操縦方法が違うので、時間をかけた研修が必要」とのこと。現在研修中の若手研修生が2名いらっしゃいますが、一人で運転できるようになるには、もう少し時間がかかるそう。住民と学生の為にも、早く元の運行状況に戻ることを願っています。

半世紀以上の歴史を持つ録音構成番組。全国の放送局がその土地ならではの風俗をそこでしか聞くことのできない音とともに紹介します。

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