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2013年12月

2013年12月24日 (火)

伝承・黒糖造りの男衆

2013年12月30日~2014年1月5日放送
宮崎放送 ラジオ局ラジオ部 日高 千明

【番組概要】
宮崎県南部に位置する日南市風田地区。風田に伝わる製法は、さとうきびの汁を煮詰め、棒でかき混ぜて練り上げることから「さとねり」と呼ばれ、江戸時代から受け継がれています。現在ではその製法を守り造っているのは一軒のみ。師走に入ると、さとねり小屋には男衆が集められ夜を徹して作業が続きます。その黒糖造りをしきるのが、さとねりのすべてを知る風田でたった一人の名人、平島二三夫さん(56)です。さとうきびが黒糖になるまでを名人の技と共にお伝えします。

【制作意図】
宮崎の冬の風物詩「さとねり」。様々な商品が出来上がるまでには、沢山の時間と思いが込められています。黒糖もそのひとつです。さとうきびから黒糖になるまでは8時間以上かかります。大変だけれども、祖先から受け継いだ伝統製法を守り次に伝える平島さん。そして地元の正月の思い出に必ず出てくるのが平島さん達が造る黒糖です。番組では、江戸時代から続く伝統製法を受け継ぐ男衆を描きました。

【制作後記】
さとうきびを搾る所だけが唯一の機械での作業、後は手仕事。寒さも眠気も襲ってくる午前4時、何故ここまで・・と思いもしましたが一睡もせず黒糖造りを進める男衆。「辞めるのは簡単だけど、祖先から受け継いだ息子の使命、伝統の灯を絶やさずによ」としきりに言われていた平島さん。江戸時代から続く「さとねり」。音の変化と共にお聴きいただければと思います。

池島炭鉱、その終点の先に

2013年12月23日~12月29日放送
長崎放送 ラジオ&プロモーションメディア総括本部 ラジオ制作部 元永純史

【番組概要】
長崎市中心部からバスとフェリーを乗り継いで2時間半。長崎市の北西部に池島という小さな島があります。かつて炭鉱の島として栄え日本の近代化を支えていました。しかし国産の石炭需要の低下に伴い、2001年11月に炭鉱は閉山。多くの住民が島を去る中、島に人を呼び戻す為にスポットライトがあたられたのは、かつて島を支えた炭鉱の存在でした。
この炭鉱を体験できるツアーには、現在、日本中から参加者が集まっています。そして、この島の魅力はそれだけでないのです。

【制作意図】
長崎で炭鉱の島といえば、まず軍艦島(端島)の名前が挙がるでしょう。しかし長崎には2001年まで創業していた九州最後の炭鉱があります。それが池島炭鉱。観光資源として炭鉱や古びた昭和の街並みが大きく注目される中、より魅力的なのは、実は島に暮らす人々でした。そんなチャーミングな島民の雰囲気が少しでも伝えられたらと思います。

【制作後記】
島の数少ない食事処のひとつ「かあちゃんの店」で話をしてくれた炭鉱マンの皆さんは、どこからどう見ても不器用そうなのですが、当時の様子を熱く語る姿はとても魅力的でした。炭鉱の中という非日常、対してどこにでもいそうでいない、素敵な登場人物たちを想像しながら聞いていただけると幸いです。池島へ行かれる際は、是非宿泊して思う存分島を体験してみてください。

2013年12月18日 (水)

ぬか床を守り続けて140年。4代目榮助さん

2013年12月16日~12月22日放送
和歌山放送 報道制作局報道制作部 花井歩高

【番組概要・制作意図】
紀伊半島の中ほど、和歌山県日高川町寒川(そうがわ)地区。
海沿いにある高速道のインターチェンジからは車でおよそ1時間かかる山に囲まれた地域です。集落の中心地で営業している「三尾屋」は創業明治元年。屋号の三尾は、太平洋に面した日高町三尾を指し、「アメリカ村」とよばれる移民の町でもあります。初代の榮助は長さ2メートルほどもある天秤棒をかつぎ、2~3日かけていくつもの山を越え、紀伊水道で水揚げされる塩サバなどの海産物や大阪からの小間物を運び、寒川からは椎茸やお茶を町に届けていました。

そんな寒川に店を構えて140年。4代目の福島榮助さん(84歳)の自宅居間にはその天秤棒が大切に保管されていて、今も店に出るときは棒をくぐりながら常に感謝の心を忘れないといいます。初代の妻が大阪・船場のまかない仕込みでこの漬物を覚え、以来、榮助漬けとして地元の人たちに親しまれてきました。ダイコンやキュウリ、ナス、ショウガにミョウガ・・・ぬか床の入った壺がずらり並ぶ倉庫には、ぬか床の甘酸っぱい香りが漂います。香ばしく煎ったぬかと塩、鷹の爪、ぬか床の中身は至ってシンプルですが、なんとも深い味わいです。ちなみに、ぬか床を「まぜる」というよりも、かめの端を上から「押さえつける」という表現がしっくり来ます。それだけぬか床がしっかりしているのです。

ふるさとの食についての著作も多い地元随筆家・梅田恵似子さんはおよそ30年前に取材に訪れた際、そのぬかを指にすくって口に運んで「うまい!」とひと言。それがきっかけに地元の人たちだけで食べられてきた榮助漬が県内外に知られるようになりました。4代目榮助さんが見せてくれた歴史年表には、三尾屋の歴史が詳しく記されていました。一日も休まず混ぜられてきたぬか床ととも大切な家族の記録で、この歴史は5代目に受け継がれています。

2013年12月11日 (水)

守り育てる村上の鮭

2013年12月9日~12月15日放送
新潟放送 ラジオセンター 五十嵐滋章

【番組概要】
「寒くなると、鮭がのぼって来るんだよな…」つぶやくように語る小池さんは、新潟県村上市、()面川(で行われる伝統的な鮭漁、テンカラ漁をやって60年の大ベテラン。20歳頃から始めたテンカラ漁。85歳となった今も三面川に通う。歴史が深い村上の鮭。江戸時代の村上藩士、青砥(あおと) ()平治(へいじ)は、鮭が生まれた川に帰ってくる「回帰性」に着目、「(たね)(がわ)の制」を実施して、世界で最初の鮭の自然保護増殖を成功させた。その精神は今も受け継がれ、地元の子供たちも手伝って、毎年800万匹の鮭の稚魚が見面川に放流される。今年はちょうど、青砥武平治生誕300年の年にあたる。そして今年も、越後村上に鮭の季節がやってきた。

【制作意図】
新潟県の北部に位置する村上市には、古くから鮭漁の歴史があり、言葉や料理など、鮭にまつわる文化は多岐に渡ります。長い年月の中で、村上の人々には、川や鮭を大切に思い感謝する気持ちが、自然と育まれてきました。その歴史と想いを、現在の村上と、市井の人々を通じて描きたいと思い、この作品を制作しました。

【制作後記】
川魚としてはとびきり魚体が大きな鮭は、5kg以上というものもざらにかかり、アタリの手ごたえは堪らないのだそうです。テンカラ漁は、誰でも出来るわけではなく、村上市に住民票があり、かつ、漁業組合に登録した人しか出来ません。「楽しいよ。村上に住みなせ。」と言われた言葉が耳に残りました。歌を発表したのは村上小学校の3年生でした。この舞台のために半年練習したそうです。作品を通じて、村上の風土や風物に少しでも興味を持っていただければと思います。

この醤油でないとアカンのよ

2013年12月2日~12月8日放送
西日本放送 ラジオセンター 堀部直子

【番組概要】
醤油づくりとして400年の歴史をもつ香川県小豆島。ここに創業110年を迎える「やまひら醤油」があります。工場は港のすぐ近くにあり、瀬戸内の7つの島へ時代を逆行し、今もなお船で醤油を運び続けています。
島の人に「やまひらの醤油じゃないとアカンのよ。」と、愛され続けられる理由とは?

【制作意図】
インターネットが発達し、流通も昔ながらの船から車へと時代がシフトしてもなお、島々へ船で醤油を運ぶ「やまひら醤油」の3代目山口俊徳さん。島民はただ醤油を待っているのではなく、人と人との関係が希薄になっている時代、醤油を通して人情や人と人との関わり方が見えたような気がします。

【制作後記】
山口さんは今年75歳。ここ何十年も休まず仕事をされているそう。他人から見たら大変な仕事だが、本人は悠々と楽しく仕事されているのが印象的でした。配達の合間の世間話も人と人との結びつきには欠かせない大事な要素なんだと改めて感じました。

半世紀以上の歴史を持つ録音構成番組。全国の放送局がその土地ならではの風俗をそこでしか聞くことのできない音とともに紹介します。

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