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2006年12月

2006年12月25日 (月)

こだわりの野鍛冶屋

信越放送 ラジオ編成制作部 船戸 導洋

松本市にこの道50年の鍛冶屋が健在だ。
若いころより本業を継ぎ、農機具や包丁などの刃物を手がけてきた、いわゆる野鍛冶屋で、長野県内で唯一といっても過言ではない。

機械プレスが全盛の中、手作業で地金にハガネを打ち込む、昔ながらの手法を守り続けている。客の満足を最優先に考え、30年先まで使える製品作りにこだわり、その結果プロの職人から厚い信頼を得ている。

「町の鍛冶屋」に響くつち音と切れ味抜群のそば包丁の音を追い、職人のこだわりを探った。

中沢刃物製作所(松本市庄内町)

2006年12月18日 (月)

山里にかかるオレンジ色の暖簾

東北放送 ラジオ編成制作部 橘田 久

宮城県の最南端に位置する丸森町は、ころ柿と呼ばれる「干し柿」が特産品です。

干し柿作りが最盛期を迎える11月のなると、「柿ばせ」と呼ばれる柿干し場に、たくさんの柿が吊るされます。それはまるで、オレンジ色の暖簾が、幾重にも、連なっているように見えます。

番組では、「干し柿作りの体験ツアー」に「柿、牡蠣(かきかき)交換」と、ユニークな企画を打ち出し、故郷・丸森の魅力を伝えようと奮闘する八島哲郎さん(44)にスポットを当てながら、小さな山里の晩秋の風景を描写しました。

2006年12月11日 (月)

金沢・寺町「寺院群の鐘」

北陸放送 制作部 金多 妙子

平成8年、当時の環境庁から「残したい日本の音風景100選」に選定された「金沢・寺町寺院群の鐘」。

あれから、10年後どのような状況なのか気になり、鐘音会の会員をお尋ねしたところ、「続けていますよ」と、皆さんお歳をめされたものの、とてもお元気そうでした。

お住まいは金沢でも古い街並みの残る地域で、町内の人たちの絆も強く、お年寄りはもちろん、後から移り住んだ人たちもそんな環境に次第に馴染んでいくようなところです。

会員の皆さんは、自分たちが“鐘つき”を止めたら、「音100選」が99選になると大変だという危惧も手伝って、責任感も感じながらも楽しんで続けていらっしゃるご様子でした。

しかしながら、会員の平均年齢80歳近くとなった今、これから先は後継者を交えながら続けていくことを願うのですが、このあたりはまだ先の課題のようです。

取材は限られた曜日と時間ということで、日脚の短くなった夕暮れ時、鐘をつきにお寺にいらっしゃる方を何回か取材しました。

鐘を付き始めるころは真っ暗、でも12年も付いていらっしゃる会員は慣れたもので、懐中電灯も持たずに足取りも確か。同行した私のほうが足元おぼつかなく、鐘楼の石の隙間に足を挟んでしまい、大きな青あざが。

さて、これからの時代は自分たちが住んでいる地域を大切にしたいという想いはますます強くなるように思いますので、このような活動は広く皆さんに知っていただきたいと思い制作しました。

2006年12月 4日 (月)

村を守ってバスは走る~諸塚交通の秋~

宮崎放送 ラジオ局長 湯浅 和憲

宮崎県諸塚村。村の総面積の95%を山林が占めています。
人口は2000人余り。村人は先人たちの残した山を大事に受け継いでいます。おもな産業は農林業。

中でも、椎茸は原木栽培で生産され、諸塚の特産物として県内外にその名を知られています。

諸塚交通は2年前、宮崎交通に替わり、村内4つの路線に参入した個人経営のバス会社です。社長は黒木重人さん、53歳。現在諸塚交通はバス6台、タクシー2台を保有して、村民の貴重な交通手段としての役割を果たしています。

諸塚交通の乗客の80%はお年寄りや、小中学生=いわゆる、車を持たない交通弱者と呼ばれる人々です。社長の黒木さんは、坂の上にある村立病院の玄関までバスが上がるようにしました。また、高齢者の利用の多い諸塚温泉にも新しくバス停留所を作りました。

諸塚村の人々は、一様にきめ細かく運行される諸塚交通バスを歓迎しています。諸塚交通は人を運ぶだけではありません。会い朝本社から始発地に向かう道すがら、朝刊を降ろしていきます。新聞を待っているのは地区のおばあちゃんたち。

諸塚中学校3年生の藤岡羊平君は、来年卒業する羊平君は村外の高校へ進学します。「人口流出」と「過疎化」の流れを何とか食い止めたいと黒木さんは羊平と顔を合わせる度に、「村へ帰れ」と訴えるのです。

走れば走るほど経費がかさむ諸塚交通ですが、地域の生活を守り先人たちの残した山の文化を伝えるため、黒木さんは今日もバスを走らせます。

半世紀以上の歴史を持つ録音構成番組。全国の放送局がその土地ならではの風俗をそこでしか聞くことのできない音とともに紹介します。

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