2025年8月28日 (木)

100年の夏を照らす、島田の火花

2025年9月1日~2025年9月7日
静岡放送 ラジオ局オーディオコンテンツセンター 寺田亮介

【番組概要】

夏の風物詩といえば「花火」。
最近はできる場所が限られることを背景に、子供たちが手持ち花火で遊ぶ光景を目にすることも少なくなりました。また手持ち花火市場も他産業と同様、外国産の安価な輸入品で溢れており、国内の手持ち花火会社は数えるほどしかありません。そんな現状の中、静岡県島田市には日本伝統の手持ち花火文化を絶やすことなく、時代と向き合っている会社があります。「井上玩具煙火株式会社」。100年近く手持ち花火を作り続けている会社です。

かの徳川家康が静岡の駿府城にて、日本で初めて花火を観覧したとされ、静岡で花火の制作を始めた...そんな歴史を背景に積み重なってきた伝統文化を守りつつ、手持ち花火を令和の時代にアップデートさせていく、そんなチャレンジを続ける井上玩具煙火株式会社4代目、井上慶彦さんにお話をお聞きしました。井上さんが作る手持ち花火の「凄さ」、聴いて、感じてください。

【制作意図】
「最近手持ち花火してないな、子供の頃は夏よくやったのにな」とふと思い、花火について調べたのがこのテーマにしようと思った最初のきっかけでした。
私自身、静岡が花火とゆかりの深い場所であることすら知らず、ましてや手持ち花火を作っている会社が静岡県島田市にあることも知りませんでした。
今回井上さんに取材して、日本伝統の手持ち花火という夏の風物詩が苦境に立たされている現状と、井上さんが伝統を背負いつつ、モダナイズさせようとチャレンジするその熱量に感銘を受けたと同時に、童心に戻ったように、井上さんの作る手持ち花火に驚き、楽しめた、そんな気持ちを音に記録できたらと思い、制作に取り組みました。

【制作後記】

手持ち花火の歴史、伝統、現状を知るほど、厳しさを理解したと同時に、それらに負けることなく、伝統を守りつつ、革新的要素を入れ込んでいくプロフェッショナルな現場に感動を覚えました。
この現場の熱量をどうにか音で伝えれたらと身が引き締まる思いになったと同時に、子供たちが花火で遊ぶ姿を取材して、「やっぱ夏は花火だな!楽しいな!」と幼少期の夏に戻った気分で楽しんで制作できました。とはいえ井上さんたちの作る手持ち花火一つ一つに光る技術力やこだわりを音で表現することには難しさを感じました。花火は目で見て楽しむものなので…。
ただ井上さんの花火をした時の驚きはぜひお聞きの皆様に共有したいと思って制作しましたし、実際に驚くと思います。
井上さんの花火ってすごい!、やってみたいと思っていただけたら幸いです。

 

~きょうも出血大サービス!~ 海峡の市場の名物店長

2025年8月25日~2025年8月31日
山口放送 ラジオ制作部 倉光佑典

【番組概要】
3方を海に囲まれた本州の最西端、山口県の海の玄関口 下関市。まちの人気観光スポットである唐戸市場では日本一の取扱量を誇るフグをはじめ、新鮮な海の幸や加工品を求めて国内外から多くの人が訪れます。賑やかな中心地から離れた市場の端・・・人通りが落ち着いた場所にある卸売店「兼子商店」では店主の兼子正範さんが自慢のしゃべりに花咲かせ、ちくわや干物を売って売って売りまくっています。海峡の市場で日々繰り広げられる、兼子さんとお客さんのセッション(ふれあい)をお楽しみください。

【制作意図】
私も以前、唐戸市場に訪れたとき「不思議な声が聞こえてくるな~」と思い、ふらっと兼子商店の前を通ったところ、気が付いたら2000円のかまぼこセットを買って(買わされて)いました(笑)お客さんに買ってもらおうとあの手この手で粘り強く一生懸命な兼子さんのトークとキャラクター、そして海の市場の賑やかな雰囲気を感じてもらいたいです。

【制作後記】
唐戸市場では金曜~日曜に握り寿司を販売する屋台がずらりと並び、とても多くの人で賑わいますが、その中心地から離れると人の密度はがらっと変わります。兼子商店もそんな市場の片隅に店を構えています。今回の取材では週末の朝のお店の開店から夕方の閉店まで密着しましたが、兼子さんは朝からフルスロットルで道行く人の足を止めに止めてどんどん売っていきます。店先を通る人全てを逃さない勢いです。海外の人にも身振り手振りと英語や現地の言葉を交えながらどんどんアタックしていきます。取材中は兼子さんが繰り広げるやり取りにこちらも笑いをこらえるのが大変な時もありました。
唐戸市場にお越しの際はエンターテイナーがいる兼子商店にもぜひ足を運んでみてください。

700年続く奇祭 水止舞

2025年8月18日~2025年8月24日
文化放送 制作部 松本聡司

【番組概要】
東京都大田区、住宅街の奥に静かにたたずむ「厳正寺」で、ある“奇祭”が行われます。約700年の歴史を持ち、東京都無形民俗文化財にも指定されている「水止舞」です。祭りの音に乗る参加者と地域の人の声。広く知られることなく700年続いてきた”何か”を感じるため、「水止舞」の”音”に迫りました。


【制作意図】
コロナ禍で就職を機に大阪から上京してきた私にとって東京という都市はほとんどが未開の地でした。街に繰り出すようになって感じた東京は「個性の集団」でした。
ひとつひとつの街が他と違う魅力的な個性を持つ東京。その中で色濃く違いが出るのが歴史を紡ぐ「祭」だと思い、今回のテーマを「祭」にしました。街が人とその歴史を繋いでいる様子を伝えてみたいと思い制作しました。

【制作後記】
祭りの日は快晴。「水止舞」には老若男女、国籍も問わず様々な人が参加していました。
取材を通じ、改めて「祭」は人とその地域の歴史を未来に繋いでいるものだと感じました。地元の園児から小中学生、高校生が演者としても参加し、過去に経験した大人たちが見守る。稀薄する地域の繋がりを見ることができました。街の数だけ物語があると思います。いつかそんな街に流れる日常の物語を切り出してみたいと思いました。

 

次世代につなぐ~高橋の虫送り

2025年8月11日~2025年8月17日
ラジオ福島 編成局 飯田英典

【番組概要】
その年、その季節にしか聴くことができない音があります。福島県の会津美里町に伝わる「高橋の虫送り」は、昨年1度運営団体である保存会の解散が決定しましたが、地元の有志が集まり、「高橋小野虫送りをつなぐ会」として継続していくことを決めした。「つなぐ会」の結成初年度は、準備のため一部のみの実施にとどまりました。そして今年、虫送りを、「虫かご」作りから虫供養、町内巡航、虫送りの全体を通して再開することになりました。2年のブランクを挟んで再開された「高橋の虫送り」の模様を、子どもたちが歌う「虫送りの歌」を中心に、地域の先輩たちの指導で行われた虫かご作りから、虫供養から虫送りまでの行事の一連の流れを「音」で追うとともに、「高橋の虫送り」の継続への思いを、s会の代表の言葉でお送りします。

【制作意図】
かつては各地で行われていた「虫送り」の行事も、少子高齢化の影響あって継続している箇所も減ってきました。失われつつある伝統行事「虫送り」に、自然との共生、多様化する現代でも重要な意味を持つと考える人々の取り組みを、「虫送りの歌」や橋の上から虫かごを川に流す「虫送り」など、失われつつある伝統行事を音で捉え、その再開への取り組みを紹介していきます。

【制作後記】
伝統行事には、これまで行われてきた形があります。しかし少子化や、自然環境の変化、また、農耕に関する技術の進化の中で、その形を維持していくことが難しいこともあります。そういった変化を認めながら、本質にある自然の恵みと共生、自然への畏怖などから学ぶことも多く、時代に合わせ姿を替えながら伝統行事を守ってくこと、それをつなごうとする人々の熱い思いを判じることができる取材でした。番組の中で歌われる「虫送りの歌」には、法螺貝の伴奏があるそうです。今回は準備が間に合わず掛け声で、調子を取っていましたが、来年には法螺貝の音色も加わった「むしおくりの歌」が帰ってきそうです。「高橋の虫送り」が今後どのように変わっていくのか、来年の開催が今から楽しみです。

2025年7月25日 (金)

あの味をもう一度!じゃ~まの料理教室

2025年8月4日~2025年8月10日
北陸放送 ラジオ開発部 中川留美

【番組概要】
人それぞれに忘れられない味、食べると色んな思い出がよみがえってくる料理があります。令和6年能登半島地震によって閉店してしまったお惣菜店も、もう一度食べたいと思うメニューがありました。能登半島のほぼ中央に位置する石川県七尾市にあった惣菜店の名前は「じゃ~ま」。「じゃ~ま」とは、能登の方言で「妻、奥さん」を意味します。長年、地元の主婦やサラリーマンだけでなく、学生も通う人気店でした。お惣菜の中でも名物だったのが「鶏の唐揚げ」。ひとくち噛むとジューシーで、口の中いっぱいにニンニクの風味が広がる美味しい唐揚げです。地震後、店舗は解体され、「じゃ~ま」のお惣菜は食べられなくなってしまい寂しさを感じている中、もう一度、あの「唐揚げ」を食べたい!じゃ~まのお惣菜を食べたいという思いを持つ人達の企画で、今年2月から「じゃ~ま」の料理教室が開催されることになりました。番組では料理教室の様子や参加した人たちの声、じゃ~まの店主・蠏早苗さんの思いをお送りします。

【制作意図】
能登半島地震から1年半が経ち、街の風景、人の様子も変化していますが、その中に変わらないものや心の中に残るものが、誰の中にもきっとあると思います。姿や形としては無くなってしまっても、ふっと心に浮かぶもの、懐かしく思い出されるものの一つが「味」なのではないかと思います。地元で長年、愛され続けてきた「味」を求める人の思い、「味」を受け継いでいける喜びも伝えたいと思いました。

【制作後記】
「じゃ~ま」の店主、蠏早苗さんは、みんなの「お母さん」のようでした。料理教室に参加している人たちは、レシピを習うだけではなく、「じゃ~ま」のお母さんに会いたくて、話をしたくて来ていました。「教えることはなくて、一緒に料理をしている感じ」と話してくれる蠏さんの姿や参加者の様子を見ていると、母と子が一緒に料理をしているようにも思えました。「じゃ~ま」のお惣菜、唐揚げが忘れられないのは、母のような味わいがあるからなのかもしれません。取材中に唐揚げ、卵焼き、マーボナスをいただき、味の美味しさとともに思い出されたのが、私の亡き母の料理でした。姿、形は無くなってしまっても、味は忘れられないものですね。

奄美日本復帰 72年の時を経て

2025年7月28日~2025年8月3日
南日本放送 ラジオセンター音声メディア部  豊平有香

【番組概要】
多くの離島がある鹿児島県は、南北600Kmに及ぶ「日本一長い県」。
その最南端にある、奄美大島、徳之島などの奄美群島は、昭和20年の終戦後から沖縄とともにアメリカ軍の統治下にありました。島民は食糧難に苦しみ、子どもたちは十分な学習ができないなど、大変な生活を強いられます。そのような中、昭和28年12月25日、沖縄より先に奄美群島が日本に返還されるというニュースが。ラジオ南日本(南日本放送の前身)の局員2人が、歴史的な日をラジオで伝えたいと『密航』して奄美大島に行き、全国中継を成功させました。
この実話をもとに、鹿児島県立伊集院高校の演劇部が、当時の奄美を描いた創作劇を披露します。しかし、同じ鹿児島県でも離島の奄美大島に行ったことがない部員がほとんど。
どのような思いで72年前の奄美の人々と向き合ったのでしょうか。
当時の音源と、令和の高校生たちの声を重ねて届けます。

【制作意図】
南日本放送の資料室に保管されていた、72年前の全国中継の音源。
当時ラジオ南日本は開局したばかり。「奄美日本復帰」というビッグニュースを「ローカル局である自分たちが伝えるんだ」という大先輩たちの熱い思いを感じました。
このエピソードをラジオドラマで再現したところ、県立伊集院高校から創作劇として奄美日本復帰を描きたいという連絡が入ります。同じ鹿児島県内の出来事ではありますが、本土に住む高校生が離島の奄美のことをどのように感じながら演じるのか、大変興味がわき、取材を進めました。

【制作後記】
劇を初めて見たとき、本当に令和を生きる本土の高校生なの!?と驚きました。ステージでは方言が飛び交い、島唄を歌い、配給を待ち、市民運動で声をあげ…。高校生が真正面から奄美の歴史と向き合う姿を見て、私も何とかしてラジオで伝えたいと背中を押されました。
この劇を見に来られた奄美にゆかりのある方々は、「当時を思い出す」「両親から聞いた話と同じだ」と涙を流し、奄美で公演してほしい、という声も上がっています。復帰を経験した方が少なくなる中、劇を通して、鹿児島の大切な歴史を語り継いでいってほしいと心から願っています。





人と糸が紡ぎ織りなす伝統と未来

2025年7月21日~2025年7月27日
KBS京都 ラジオ局編成制作部 森俊輔

【番組概要】
京都を代表する伝統工芸の西陣織、その中でも「金襴」と呼ばれる織物を題材に、100年以上にわたり「金襴」に携わる西陣岡本の皆さんへのインタビューと機織りの音を通して、西陣織の発展から危機感といった現状そしてその先の未来へを表現しました。

【制作意図】
以前は周辺地域を歩いているとどこかしらから機織りの音が聞こえるのがあたりまでしたが、ここ数年でそのような光景も少なくなっていると感じます。そしてどこの伝統工芸もそうですが後継者不足というのが問題になっています。
取材をしていくうちに、織りではなく機械の整備や素材の調達といったそれ以前に関わる方々の危機という、イメージしていなかったそれ以前のことへの危機をより感じましたので、そこを伝えることをメインに制作しました。

【制作後記】
取材を通して、感じたのが岡本の皆さんのどうにかしたいという気持ちです。
織機の中の、そんな部分まで専門にしている職人さんがいるのかと驚きました。
西陣織の過渡期だと感じる今、この放送を通じてたくさんの人に魅力と現状を知っていただきたいと思います。


試行錯誤で実る、スペシャルティコーヒー

2025年7月14日~2025年7月20日
琉球放送 メディア本部 ラジオ局 編成制作部 銘苅強

【番組概要】
身近な飲み物であるコーヒーですが、ほとんどが外国で栽培されています。そんな中、気象条件のハンデがありながら沖縄本島でコーヒーを「露地栽培」しているコーヒー園を取材しました。突然やってきたコーヒー栽培へのチャレンジ。気象が合わない中でのチャレンジ。
チャレンジを繰り返す又吉拓之さんの姿を取材しました。


【制作意図】
沖縄でコーヒー栽培がおこなわれていることの凄さを知ってもらいたい。
収穫まででも大変なところ、満足せずにクオリティを高め続け、他の国にも負けない高い品質のコーヒーができている。さらにその先も見据えて進み続けるという職人魂のようなものが伝わってほしい。

【制作後記】
沖縄でも「沖縄県産コーヒー」を店頭で見ることがない。
作っていることは知っていたのでなぜなかなか飲む機会がないのか疑問でしたが、
何とか育つという沖縄の栽培環境で大規模栽培はどうしても難しいという理由を知った。また、海外産コーヒーであってもほとんど同じ手間がかかっているということを聞いて、普段から飲んでいるコーヒーがどれだけ安く飲むことができているか、身に染みた。

鳴った!幕末から伝わる鼓笛の音

2025年7月7日~2025年7月13日
山形放送 丹野 貴雄 報道制作局制作部

【番組概要】
山形県上山市で160年以上前に始まった歴史ある鼓笛隊が、今なお活動を続けている。
「上山藩鼓笛楽」、戊辰戦争の頃に上山市で奉奏されたことが始まりと伝えられ、現在は市の無形文化財に指定されている。毎月1回、子どもから大人まで様々な世代が参加する練習会。神社の例大祭や秋の大祭で奉奏し、お祭りを盛り上げる存在として古くから地元の子どもたちの憧れの存在ともなっているという。この鼓笛の音をこれから先も継承していこうと奮闘する様子を描きました。

【制作意図】
もともと「上山藩鼓笛楽」は女性による演奏は禁じられていましたが、伝統ある鼓笛楽を次世代に伝えるため、平成6年から女性も参加できるようになりました。こうした中、去年、女性初の会長となった藤原さんは、しの笛とフルートの奏者として音楽活動を行っている音楽家。彼女自身も小学生の頃に参加していて、この度会長になった藤原さんに、鼓笛楽を後世へ伝え継ぐ意志を伺いました。また、取材で出会った、篠笛を体験しにきたという8歳の男の子。なかなか笛を鳴らせない彼が、まわりの指導者たちに教えられて、最後には音を出せるようになるまでの姿と、この鼓笛楽が今後も未来に伝えられていく様が重なり、その様子を伝えたいという思いで制作しました。

【制作後記】
元々の想定では、継承活動を楽しく続ける様子をにぎやかにお伝えできれば、という思いの元、取材に臨みました。発足当時は、合戦のさなかに戦術の一部として使われていたということで、演奏を間違えてしまうと、自軍の作戦失敗にもつながるという命がけの状況だったという話を藤原会長からお聞きして、演奏する人たちの思いは変われど、160年以上前から現在まで伝えられてきた鼓笛楽の歴史に思いを馳せました。また、最後に登場する、はじめて笛を鳴らすことに挑戦した8歳の男の子は、インタビューに答えるのは難しかったものの、鳴ったその音からは、鼓笛の音が次世代へ続いていくであろう気配を感じたので、その様子を大切に伝えたいと思い、最後に紹介しました。

2025年6月27日 (金)

からくり時計が響く福岡、新天町商店街〜メルヘンチャイムのものがたり〜

2025年6月30日~2025年7月6日
RKB毎日放送 オーディオコンテンツセンター 大場 敬一郎

【番組概要】
福岡・天神の新天町商店街に、1981年に設置された「メルヘンチャイム」。日本初の大型からくり時計として誕生したこのチャイムは、商店街の時報として、また街の人々の記憶として、長年親しまれてきました。今回は、設置に携わった関係者の証言や、街ゆく人々の声を通して、メルヘンチャイムがこの街にもたらした“音の風景”と、その背景にある時代の流れを特集しました。そしていま、天神ビッグバンによる再開発の中で、このチャイムの行方にも変化が訪れようとしています。

【制作意図】
天神の街を歩いて耳に届く、あのやさしいチャイムの音。
それが「メルヘンチャイム」であると認識している人は、意外と少ないかもしれません。でも、その音は確かに、街の時間を刻み、人々の心に残ってきました。「時間を合わせて聞いていた」「あれを見るのが楽しみだった」という声にこそ、このチャイムが街の文化として生き続けてている証があると感じました。一方で、天神の再開発が進む中で、このチャイムの存続は決して当たり前ではなくなっています。だからこそ、今あらためて、“音の風景”としてのメルヘンチャイムをラジオ番組で記録することに意義があると考えました。
誰かの思い出の中に残るあの音を、未来にも手渡せるように。この番組が、そのきっかけのひとつになればと願いながら制作しました。

【制作後記】
メルヘンチャイムが「日本初の大型からくり時計」だということを知ったとき、私は驚きました。
商店街の一角にある、あの時計塔が、そんなに大きな意味を持っていたとは。設置に関わった方からは、「当時は商店街に何か大きな目玉が欲しい」という言葉があり、人の心に届く“音の演出”を仕掛けていたことがわかりました。街頭インタビューでは、チャイムの思い出を語ってくださる方々に出会いました。それはどれも記憶に残るものでした。
そして今、メルヘンチャイムは再開発の波の中にあります。この先もずっと鳴り続けるとは限らないからこそ、私はこの番組で、その“音”と“記憶”を記録しておきたいと思いました。このチャイムがこれからも街角に残り、誰かの人生の小さな背景音として、そっと響き続けてくれますように思っております。

半世紀以上の歴史を持つ録音構成番組。全国の放送局がその土地ならではの風俗をそこでしか聞くことのできない音とともに紹介します。

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