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2019年8月

2019年8月28日 (水)

伊勢湾台風60年 まちの語り部

2019年8月26日~2019年9月1日放送 
東海ラジオ放送 第二制作部 源石和輝

【番組概要】
1959年(昭和34年)、東海地方を中心に5000人を超える犠牲者を出した伊勢湾台風。あれから60年、被害の大きかった名古屋市港区で当時の人びとの体験談を今に伝えるプロジェクトが、まちの活性化を図る「港まちづくり協議会」によって進められている。語り部は地元在住の西川みどりさん(66)。持ち前の明るさと名古屋弁、民謡で鍛えた声で当時の状況を生き生きと映し出す。「屋根があらへんぞ!」家々が水没したのを海から目撃した船員、「こりゃ大変だがや!」自宅の水位が上昇する中家族を脱出させるためトタン屋根を素手で破った父親、警報が出ていたのに悠長に構えていた台風襲撃前の街の様子。聞き書きによって綴られた住民たちの体験談を次々と朗読してゆく。そしてみどりさん自身も伊勢湾台風経験者だ。当時小学1年生だったため「何も怖くなかった。怖さを知らなかった」と前置きしつつ、冠水した通りを歩いていたらマンホールにはまったり、戸板に載せられた遺体をそうとは知らず見てしまい父親に叱られたエピソードを語る。「伝えていきたい。経験しているからしゃべれる。生き字引になっていくのかな」。みどりさんの決意で番組は締めくくられる。

【制作意図】
東海ラジオが放送免許を受けたのが1959年9月26日、つまり伊勢湾台風襲来の日だ。戦後最大の台風災害であるがその記憶は着実に風化しているし、もとより開局前の東海ラジオに当時の記録はほとんどない。別件の取材で港まちづくり協議会を訪れた際、「まちが語る」というプロジェクトの存在を知った。語り部西川みどりさんの朗々とした名古屋弁に引きつけられ、この声と語りこそが名古屋の街角の風物詩なのではないか、私たちが知らない伊勢湾台風を知るよすがになるのではないか。ある種の「縁」のようなものを感じた。映像や文字と違って音声の記録は残しにくいが、ひとたび聴けば記憶に残る。この記憶を地元にとどまらず全国で共有できればと思い、ちょうど60年を迎えるこの時期の番組制作に至った。

【制作後記】
西川みどりさんは小さいときから朗読が好きで、歌手や女優やアナウンサーを夢見ていたが果たせず。主婦業の傍ら民謡教室で声を磨き、スーパーマーケットの教育係で言葉を磨いた。地元の祭りで先頭に立って盛り上げる様子が港まちづくり協議会スタッフの耳に留まり、語り部起用に至った。「即決したわよ。今になって花開いたわね」と屈託なく笑うみどりさん。インタビューも終始明るく、歌まで飛び出すほど盛り上がった。「ユーモアを交えてあっけらかんと語る。それが港まちらしい」港まちづくり協議会の古橋敬一さんは、港湾関係者ら活気あふれる住民たちの語り口に、甚大な台風被害を生き抜くことで乗り越えてきたリアルさを見る。その代表格であるみどりさんの人柄が港まちを支え、風化しつつある伊勢湾台風の記憶を次代に伝えてゆくことだろう。

2019年8月16日 (金)

旬の恵みを、ひんやり生かす~里山暮らしで見つけたもの~

2019年8月19日~2019年8月25日放送 
東北放送 ラジオ局制作部 小笠原悠

【番組概要】
田舎暮らしに憧れ、退職を機に東京から宮城県栗原市一迫に移住した渡辺信雄さん・生子さん夫婦。山を望む自然豊かな土地で、ゆったりした時間を過ごそうと思っていた2人でしたが…毎日が大忙し!!2015年に地元の果物と野菜を使ったシャーベットの店「もぎたてフルーツ工房 土里夢(どりーむ)」を仲間と共にオープンしたのです。桃の収穫を手伝った際に廃棄される量の多さに驚き、「もったいない。どうにか活用できないか」と思ったのがきっかけでした。ゼロから製造方法を学び、牛乳や卵を使わず、果物と砂糖を主にした”のぶおさんとせいこさんのひんやりシャーベット”が完成しました。「地域にはまだ使われていない価値のあるものがある」と語る渡辺さん。農家の庭先に植えられたままの果物、野山に自生するベリー…。地域の恵みを生かしたいと挑戦を続ける渡辺さん夫婦の思い、そして、シャーベットの”ひんやりおいしい音”をギュッと凝縮してお送りします。

【制作意図】
栗原市でのラジオカー中継の帰り。美味しいシャーベット屋さんがあると聞き、『土里夢』へ。出迎えてくれた生子さんの笑顔にほっこり。ショーケースに並ぶ鮮やかな赤、ピンク、オレンジ…目移りしながら、いちじくと柿の2種盛りをチョイス。みずみずしい甘さと深み、爽やかな後味に1日の疲れがすっと溶けていきました。「すべて地元で取れたもので作っているんですよ」。嬉しそうに話す渡辺さん。お2人が店を始めた経緯を聞き、このシャーベットは栗原の新たな風物詩になっていると感じました。県外から移住した渡辺さんだからこそ見つけた地域の魅力、それを形にした熱意。”ひんやりシャーベット”の芯にある2人の温かさを伝えたいと思いました。

【制作後記】
早朝の桃の収穫から、シャーベット作り、店頭での販売まで、渡辺さん夫婦の1日を追いました。「忙しいけれど、楽しいよ」。地道な皮むき、力仕事も二人三脚・笑顔で取り組む姿が印象的でした。専用のヘラで丁寧にシャーベットを練り返す”シャリッシャリッ”、きれいに丸く成型してカップに入れる”カパッ”、2人の思いの詰まった音をじっくり味わってもらえたら幸いです。里山ならではの虫と鳥の鳴き声も素敵なBGMになりました。夏の暑さをほっと和らげる、のぶおさんとせいこさんのひんやりシャーベット。ヒグラシの音色を聞きながら、次は3種盛りをゆっくり味わいたいなあ…。

古町芸妓~心が照らす花街・新潟~

2019年8月12日~2019年8月18日放送 
新潟放送 情報センターラジオ放送部 片桐静香

【番組概要】
新潟市一の繁華街「古町」には、江戸時代から受け継がれてきた「古町芸妓」がいる。京都・祇園、東京・新橋に並ぶ日本三大芸妓だ。今年開港150年を迎えた港町 新潟をその華やかなおもてなしで支えてきた。港町ならではの親しみやすさもあり、一見さんにとても寛容である。彼女たちに魅了され、再び新潟の地を踏んだ人がどれだけいただろうか。存続の危機もあったが、地元企業により「柳都振興」という法人が設立され、古町芸妓の多くが、そこに属している。彼女たちは日本舞踊や三味線、笛や太鼓に長唄、お茶など日々厳しい稽古に励んでいる。稽古をつける側の先輩芸妓も教わる側の芸妓たちも常に真剣だ。それは芸妓文化をつないでいくことがどれだけ大切なのか、彼女たち自身が一番
身に染みて感じているからである。この取材では稽古の音と共に古町芸妓の魅力に迫る。

【制作意図】
京都・祇園や東京・新橋に並ぶ花街が新潟にあることを、もっと多くの人が知っていてもらいたい。そんな想いから取材を始めた。私は宴席で古町芸妓と初めて会話をしたとき、いつか絶対に取材をしようと決めていた。古町芸妓になる道を選んだ彼女たち、200年以上受け継がれてきた文化の当事者となったことで何を感じ何を考えているのか…そこを知ることが私の伝える仕事の始まりだと思う。短い時間ですべてを伝えるのは難しい、だから知りたいと思うキッカケを録音風物誌で表現したかった。

【制作後記】
稽古をしているのはかつてお座敷としても使われていた待合い茶屋。引き戸を開け一歩足を踏み入れると別世界に来たようだった。取材をさせてもらったのは古町芸妓の和香さんと結衣さん。彼女たちはまだ20代だが、稽古に打ち込む姿は同年代の人たちよりもはるかに大人に見えた。稽古をつけてくれていた先輩芸妓の延子さんを見つめる目は真剣そのもの。短い時間の中で少しでも多くのこのを学ぼうと前のめりに取り組んでいる。稽古の後に話してみるとコロコロと笑う二人の笑顔が印象的だった。
「芸妓の仕事は1人では成り立たない仕事」という和香さんの言葉に、私はラジオとの共通点を見つけた気がした。それと同時にこの二人がいるならば古町芸妓は途絶えることもないと思った。この取材で終わりではなく、これからもずっと古町芸妓の姿を追い続けていきたい。

2019年8月 5日 (月)

つちのね~宮崎の農林業を支えた鍛冶職人~

2019年8月5日~2019年8月11日放送 
宮崎放送 ラジオ部 二木真吾

【番組概要】
 
宮崎県小林市野尻町。ここで小さな鍛冶屋を営む男性がいる。白坂 伊佐男さん(83)。
白坂さんは、17歳の時に鍛冶職人だった兄に弟子入りし、以来約60年、鉄を叩き続けてきた。白坂さんの手掛ける刃物は、家庭で使う包丁はもちろん、農作業で使う鎌やナタ、牛の爪を切る削蹄用のノミなど数百種類に上る。オーダーメイドだからこそ、特殊な刃物を生み出すことができる。白坂さんは、妻のキクエさんと共に、二人三脚でこの小さな鍛冶屋を営んできた。妻が身重の時も、ケンカをして口を聞かない時も、ずっと一緒に鉄を叩き続けてきた。しかし、2015年3月。白坂さんの工場が火事に見舞われ、住宅にも焼失。足が悪かった妻、キクエさんは逃げ遅れ、帰らぬ人となった。もう、鍛冶屋はできない…。そんな白坂さんを再起に導いたのが、ひっきりなしにかかってくる電話だった。「白坂さんの包丁じゃないとダメじゃ…」、「切れなくなったから研いでほしい…」。そして、焼け跡から、愛用していた金づちが見つかった。…これでまた叩ける…。再起を決意した白坂さんは、再び、鉄を叩き始めた…。「家内もまだ一時は、頑張りないよと言ってくれてると思います…」

【制作意図】
 
古き良き物があれば、古き良き音もある。私が頭の中に残っていた古き良き音。それは、小学生の登下校時に聞いていた白坂さんの鍛冶屋から聞こえてくる音だった。私の祖父は、牛の爪を切る削蹄師をしていた。祖父は、白坂さんにオーダーメイドの刃物を依頼していた。私も小さいころから、白坂さん夫婦で一緒に鉄を叩いている姿も見てきたが、4年前、火災により工場、住宅、そして、妻を失ったことを知った。もう、再開はできないだろうなと私自身も思っていたが、数か月後に鍛冶屋を再開したことを知った。まだ、槌の音は消えてない…。 消しちゃいけないと思った。

【制作後記】
 
これまで、何気なく見ていた、聞いていた音だったが、改めて、ラジオの番組として聞こうとしたときに白坂さんの人柄、思いが、どう音だけで伝わるか。ということに終始した取材だった。もちろん、反省点はたくさんある。ただ、これから残ってほしい音であるし、残したい音でもあった。白坂さんご自身も、辛い経験をされている中で、大病を患い、現在も病気と闘いながら鉄を叩き続けている。お客さんのため、亡くなった妻のため、人は人に支えられていることをまじまじと実感させられた。こういう時代だからこそ、こうした、古き良き音は私たち、ラジオディレクターが少しでも、出会い、録音し、音の記憶として、後世に残すことの大切さを感じる番組制作となった。

半世紀以上の歴史を持つ録音構成番組。全国の放送局がその土地ならではの風俗をそこでしか聞くことのできない音とともに紹介します。

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