2018年10月19日 (金)

笑顔を届ける 86歳のアコーディオン

2018年10月15日~2018年10月21日放送 
青森放送 制作局 ラジオ制作部 斉藤 暢

【番組概要】
青森県十和田市に住む藤田みつさんは、県内の老人ホームなどを回って音楽療法のボランティアをしています。藤田さんは今年で86歳、入居者の皆さんの平均年齢と変わりません。演奏中、藤田さんは約5kgのアコーディオンを持ちながらも座る事なく、入居者の間を歩きまわります。そうする事で、その場にいる皆さんが参加するようになるのです。音楽療法に大切な事は、入居者自身が曲を選んで歌う事。簡単な事ではありませんが、それでも藤田さんは決して「この曲をやりましょう」とは言いません。約4000曲のレパートリーで、歌謡曲や演歌、民謡など多種多様なリクエストに応えます。
 藤田さん自身の元気の秘訣は、毎日のウォーキングとよく食べる事。今でも20本以上が自分の歯なので、食事が楽しいようです。短命県の烙印を押された青森県でがんばっている、元気な86歳に密着しました。

【制作意図】
1人1人が支える高齢者の数が増え続けている世の中、同じ年頃の人たちを相手に音楽療法を行っている藤田さんは貴重な存在です。若者だから出来る事、同世代だからわかる事、それぞれにそれぞれの出来る事があります。こういった活動をより多くの人に知ってもらう事で、福祉に興味を持つ人が少しでも増えればと思います。また、やっている事だけ聞くとストイックに思える藤田さんですが、併せ持つかわいらしさが伝わってくれれば嬉しい限りです。

【制作後記】
まず、取材のお願いをする電話をかけた時、声のハリに驚きました。そして取材当日、イスに座るものだと思っていましたが、30分間立ったまま弾き続けたではありませんか。ウォーキングにご一緒させていただいた時もピンとした背筋ですたすたと1時間歩き、驚かされてばかりの取材でした。
 今回は番組内で触れる事が出来ませんでしたが、藤田さんの活動の裏には多くの人たちの協力があります。施設へ行くために車を出してくれる友人、スムーズに進行できるように動く施設のスタッフ。まだまだお話を聞きたい事、番組で紹介したい事ばかりです。

2018年10月 4日 (木)

「うちのが一番!」城下町つなぐ豆腐屋おやじ

2018年10月8日~2018年10月14日放送 
北陸放送 竹村りゑ

【番組概要】
舞台は、ひがし茶屋街。石川県金沢市に観光に来た人ならば、おそらく全員が訪れるのではないかと思われる金沢屈指の観光地です。江戸時代に加賀藩前田家のお膝元で栄え、今でも当時のままの町屋や美しい石畳が続き、風情ある風景をカメラを手に散策を楽しむ観光客も多くみられるという、「非日常」を感じさせるところです。土産物屋などが立ち並ぶ街並みを背景にリヤカーをひく「高山とうふ店」の 高山こういちさんは、一見、観光客向けのパフォーマンスにも見えるのですが、その実50年近くひがし茶屋街で引き売りを続ける、地元密着型の豆腐屋です。足の悪いおばあちゃんを労わり、町の子どもたちに慕われ、通りを歩けば次々に声を掛けられるという生活を長年続けてきた方です。
「非日常」の町の中で、「日常」を送る人の姿を見せるため、高山さんの一日をたどる形にし、引き売りの道中で出会う人々との会話を伝えています。

【制作意図】
2015年の北陸新幹線の開通により、石川県は今までになく大きな変化の時を迎えています。世界中から大勢の観光客を迎えることで、どんどん洗練された表情になっていく町。それは喜ばしいことのようで、どこか一抹の寂しさを感じさせるときもあります。だからこそ、日に日に華やかさを増す町の中で、昔から変わらない当たり前の生活を送る、当たり前の人がいることを今一度確かめたいという思いから、取材を始めました。父親の代から続く豆腐店を受け継ぎ、町の人に愛されながら50年近く豆腐屋を営み続けてきた高山さんは、その点で主人公になっていただくのにぴったりの方でした。日常感が大切だと思っていたので、リヤカーを押しながらつく高山さんの溜め息や、お客さんのちょっとした呟き、長年使われてきた古い機械がたてる優しい音など、音声に載るかどうかギリギリなものも、できる限り録音しようという気持ちで収録に挑みました。

【制作後記】
今までのアナウンス人生で、ラジオ番組を制作するという経験はほとんどしてきませんでした。「初めてだから、まずは短めのものを」ということで、最初は3分間のリポートを想定して取材を始めたのですが…豆腐屋の高山さんや妻の和子さんとお喋りをするうちに、その温かさや素朴さに、人としての「正しさ」や「美しさ」を感じ、すっかりお二人のことが大好きになってしまいました。3分間では零れてしまうエピソードや言葉がどうにも愛らしくて、なんとか世の中に出したいという思いから、およそ6分半のリポートに挑戦したのが今作品です。制作者として一番気に入っているのは、観光客と高山さんの会話の様子です。金沢の良さを持ちながら、しなやかに変化を受け入れる「これからの金沢の目指すところ」を象徴したシーンだと思っています。

2018年9月12日 (水)

録音風物誌リスナープレゼントのお知らせ

 

番組をお聴きの皆さまにプレゼント 「米の食味(しょくみ)ランキング」で
8年連続の特A評価を獲得した 佐賀県産「さがびより」の今年の新米5キロを5名様に
お送りします。

Saga

(イメージ)



【ご応募方法】

■住所

■氏名

■年齢 

■電話番号
 

■番組の感想、ご要望など

をお書き添えのうえ、お聴きの放送局へはがき、またはkayoukai@radio.or.jp まで、
「録音風物誌新米プレゼント」と明記してご応募ください。 
締切りは10月20日です。 
当選者の発表は11月の賞品発送をもって代えさせていただきます。

紡ぎ、紡がれ~錦織りなす北限の絹~

2018年10月1日~2018年10月7日放送 
山形放送 報道制作局制作部 新野 陽祐

2018年度録音風物誌番組コンクール 最優秀賞
再放送でお送りします。

【番組概要】
舞台は山形県鶴岡市。江戸時代、この地域を治めていた庄内藩の藩士たちが明治維新の後、刀を鍬に持ち替えて土を耕し、カイコのエサとなる桑の木を植えました。この時、国内最北限の絹産地が誕生しました。そして、140年余りが経過したいま、一つの産地でカイコを飼育する養蚕から、私たちの手元に届く商品になるまでのすべての工程が存在する、日本で唯一の絹産地になりました。絹が生まれる時、その工程の中でどんな音が生まれているのでしょうか。そして、人と歴史はどんな音を奏でてきたのでしょうか。そこに暮らす人々の風景とともにお届けします。

【制作意図】
絹に音はありません。そう思った時、絹ができるまでにはどういう音が存在するのだろうと、ふと思ったのが取材のきっかけでした。侍が刀を鍬に持ち替えて養蚕を始めたというストーリーにも惹かれました。豊かな歴史と文化がはぐくんだ絹産地の魅力をぜひ多くの人に知ってもらいたいと思っています。そして、絹産業にはこんなにも多くの工程があり、支えている人たちがいるということを知ってもらい、絹自体の魅力も再認識してほしいと思っています。

【制作後記】
取材を始めたのはいまから7年前2010年にさかのぼります。以来、年に数回は絹産業の会社やそこに携わる人たちの取材を続けています。カイコが桑の葉を食べる音、糸が作り出される音、機織り機の音・・・目で見るとすぐ分かるはずの音が、耳だけになるとまったく違った音に聞こえ、より効果的にラジオとして聞いてもらえるようにするのは苦労しました。7年の間に、加藤さんは亡くなり、番組には反映できませんでしたが、製糸会社も火事にあいました。それでも一生懸命に絹産業を支える人たちをこれからも応援していきたいです。

 

隠し味はラッパの音~豆腐の移動販売

2018年9月24日~2018年9月30日放送 
信越放送 ラジオ局ラジオ編成制作部 笠原公彦

2018年度録音風物誌番組コンクール 優秀賞
再放送でお送りします。

【番組概要】
長野県山ノ内町で5年前から豆腐の移動販売をしている北沢豆ふ店。店主の北沢善延さんは、なぜ移動販売を始めたのか?その魅力は?販売に同行しました。

【制作意図】
豆腐販売のラッパ音が地域でどんな意味を持っているのか?販売に密着することで、売り手と買い手、それぞれの思いを描きたいと思いました。

【制作後記】
取材とナレーションを担当した石井嘉穂アナウンサーは新入社員。東京生まれの彼女に、長野県の良さを知ってもらいたいと指名をしました。取材後、スピードや効率といった尺度で測れない価値がある事に気づきましたと話していました。

 

マリンポートの母

2018年9月17日~2018年9月24日放送 
南日本放送 ラジオ部 七枝大典

2018年度録音風物誌番組コンクール 優秀賞
再放送でお送りします。

【番組概要】
大型クルーズ船が接岸する鹿児島市南部にある「マリンポートかごしま」は鹿児島と海外の観光客をつなぐ海の玄関口。船の写真を撮ってブログにアップする人、船を見るのが好きな人、そして寄港のたびにお出迎えやお見送りを行っている人たちが大勢いらっしゃいます。その中のお一人が東浜子さん(71歳)。船が入港する度に 自宅からおよそ2時間かけて 自分で車を運転してやってきます。4年前の2014年から雨の日も、雪の日も一度も欠かすことなくお見送りとお出迎えをする浜子さんの一日を追いました。

 【制作意図】
何気なく「マリンポートかごしま」へ行くと、両手にたくさんの国旗を持った女性がいました。話を聞くと「船の見送りにきた」とのことですが、手にした国旗の数や雰囲気など(いい意味で)「只者ではない」印象を受けました。これが浜子さんの第一印象です。一緒についていくと、そこには浜子さんと同じくお見送りをする方々が大勢いらっしゃいました。程なくして船が出港すると、みんな一斉に大きな声で「ばいばーい!!」とお見送りを始めます。僕には不思議な光景でしたが、なんだか胸が熱くなりました。しかも、完全にボランティアで お出迎えの時も同じように集まって自分たちの声でお出迎えをするという事実も発覚。出迎えも見送りも笑顔になる、スポットに集う皆さんをご紹介します。

【制作後記】
浜子さんと出会った時は、お出迎えとお見送りの回数がそれぞれ297回目。その原動力を探っていたのですが「何と言いようがない」の一点張り。「この魅力は体験した人でないと分からない」との事でした。ならば!と思って密着取材を始めたのですが、そこには浜子さんと同じく「何と言いようがない」お出迎えとお見送りの人たちが集うコミュニティがありました。明治維新150周年を機に観光に沸く今年の鹿児島ですが、知られざる人たちによる知られざるお出迎えとお見送りの声をお届けします。

さあ、お立ち会い ガマガールの油売り

2018年9月10日~2018年9月16日放送 
茨城放送 編成局編成制作部 首藤美穂

【番組概要】
茨城県つくば市にある筑波山は登山や観光にも人気が高い山です。その観光資源のひとつに「ガマの油売り口上」があります。週末に筑波山神社でガマ口上を行っているのが筑波山ガマ口上保存会のみなさん。年配の方が演じることが多いガマ口上と地域の子供たちをつなげようと、ガマ口上保存会事務局長の綾部龍昭さんが2011年「ガマガール」を立ち上げました。地域のおまつりなどで少しずつ人気を集めてきたガマガールの声を通して、ガマ口上の魅力を伺いました。

【制作意図】
ガマの油売りという言葉は有名ですが、実際に口上を聞いたことある人は多くないと思います。そんななか、ガマ口上を地域で披露している女の子たちがいると知りました。話を伺うと、ガマ口上に取り組む子供たちの成長を見守る地域のあたたかい目がありました。綾部さんと子供たちの口上を対比しながら、ガマ口上の魅力や子供たちが取り組む姿を伝えられるよう制作しました。

【制作後記】
女の子たちにガマガールを始めたきっかけを聞いたところ「自分たちよりちょっと上のお姉さんが演じている姿がかっこよかった」という理由が多く、年配の人のものというイメージが変わりました。ガマガールに口上を教えている綾部さんの、「かっこいい、おもしろそうという気持ちで始めてもらって、少しでも地域の伝統について考えるきっかけになるといい」という言葉が印象的でした。

2018年9月10日 (月)

歴史体感!関門海峡の語り部

2018年9月3日~2018年9月9日放送 
山口放送 ラジオ制作部 千田正秀

【番組概要】

平家が滅んだ壇ノ浦の合戦、武蔵・小次郎の巌流島の決闘、4ヶ国艦隊との下関戦争など度々、歴史的な出来事の舞台となってきた山口県と福岡県に挟まれた関門海峡。その海峡沿いの下関市側にある公園ではボランティアの語り部さんたちが毎日、海峡の歴史にまつわる紙芝居を披露し、海峡の景色と共に観光客や市民を楽しませています。番組では「晋作と龍馬~下関戦争その後~」と「怪談 耳なし芳一」の2つの演目を軸に 関門海峡の歴史の一端と語り部さんの活動を紹介します。

【制作意図】
維新150年の今年、維新胎動の地、山口県にも例年以上に多くの観光客が訪れています。そんな観光客たちが関門海峡を彩ってきた歴史に簡単に触れることができるのが、ボランティアの語り部による「歴史体感!紙芝居」です。語り部の皆さんは地元の歴史を多くの人に伝えようと暑い夏の日も寒い冬でも交代で海峡を望む公園に立ち、海峡を舞台にした歴史紙芝居を熱演しています。海峡の景観に想いを馳せてもらいながら、過去へ簡単にさかのぼることができる紙芝居の世界を感じてもらいたいと思いました。

【制作後記】
紙芝居を見ている時の反応が良かったのは台湾から来た家族連れの皆さんでした。語り部の皆さんは外国のお客さんのために演目の内容を英語、中国語、韓国語で紹介した案内書も用意しています。日本人のお客さんは紙芝居に集中して見入る方が大半で、外国からのお客さんは場面場面で「音的に美味しい」リアクションをしてくれて助かりました。   

2018年8月29日 (水)

プールの思い出は静岡おでんとともに

2018年8月27日~2018年9月2日放送 
静岡放送 ラジオ局編成部 鈴木保

【番組概要】
静岡県のソウルフード「静岡おでん」。今ではB級グルメとして全国的に認知されるようになってきましたが、静岡市民にとって静岡おでんは夏休みの思い出の一つでもあります。静岡県静岡市にある大浜プールの目の前には駄菓子屋さんが並び、夏休みになると子供たちで毎年賑わいます。静岡市民は暑い夏、プールに入ったあとに静岡おでんを食べるんです。静岡の大浜プールの目の前にある駄菓子屋さんでどんなやり取りがあるのか、プールのあとに静岡おでんを食べる文化が今も続く様子をお聞きください。

【制作意図】
全国的に「おでん」といえば冬の食べ物ですが、静岡おでんは、夏のプールの後にも食べられてきました。今でもおでんを食べる文化が残っている理由は何か?今の小学生が大浜プールに行っておでんを食べている光景は、他の地域の方が見たら変わった光景ですが、静岡にはおでんの味が夏のプールの思い出とともに思い出される光景を伝えたいと思いました。

【制作後記】
私は静岡出身で、静岡おでんの事はある程度知っているつもりでしたが、取材を通して知る事も多くありました。今回は大浜プールで食べる静岡おでんに着目しましたが、大浜以外にも観光客向けに静岡おでんのお店が新たに開店しています。今回の番組を通して、県外の方に静岡おでんの魅力が伝わって欲しいのは勿論ですが、静岡の人にこそ、当たり前だからこそ意識しない静岡おでんの魅力を再認識してもらえればと思っております。

ふるさと・広島フォーク村~あの日も、今も、これからも~

2018年8月21日~2018年8月26日放送 
中国放送 ラジオ局ラジオ制作部 大森美空

【番組意図】
今から50年前、日本が高度経済成長期の真っただ中にあったころ。
広島に『広島フォーク村』という音楽を愛する若者たちの集いが存在しました。後にスターとなる吉田拓郎氏、浜田省吾氏もアマチュア時代に「村民」のひとりだったフォーク村。ピーク時には400名の村民が在籍し、コンサートを開催するたびに満員の観客を集めていましたが、人気絶頂の中、わずか2年で解散を選びます。村民にとって、フォーク村とはどんな居場所だったのか?たった2年きりの居場所だったのか?フォーク村年少メンバーだった竹本さんにお話を伺いました。

【制作意図】
「『広島フォーク村』いうんが、あったんよ。」・・・村?どこに?フォークソングってそもそもなに?音楽も広島もまだまだ知識が浅い私にとって、フォーク村は未知の世界。知れば知るほど、聴けば聴くほど今の私と同世代である、50年前の村民たちの熱い想いに心打たれ、ここ広島にフォーク村がったことを伝えたいと感じました。自分の青春をふと振り返りたくなるような内容になっていればと願います。

【制作後記】
ナレーション担当のアナウンサーも私も、平成生まれ。レコードは入社するまで触ったことも、見たことすらありませんでした。竹本さんにレコードプレーヤーの使い方を教えていただき、おどおどしながら針を落とした後の「プツプツ・・・」、そして流れ始めたイントロには鳥肌が立つような感動がありました。そんな私たちの隣で目頭を押さえながら音楽に耳を傾ける竹本さんの姿も、とても印象的でした。形ある場所だけがふるさとではないのだと、一音一音、歌詞の一行一行をなぞりながら、感じました。

半世紀以上の歴史を持つ録音構成番組。全国の放送局がその土地ならではの風俗をそこでしか聞くことのできない音とともに紹介します。

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