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2005年6月

2005年6月27日 (月)

赤い靴物語

静岡放送 ラジオ局 ラジオ部 荻野 倫久

静岡市の歌舞伎研究家で脚本家の藤浪俊夫さんが、童謡「赤い靴」のモデルになった少女の悲話を題材にした浪曲「ああ・母子草」を書き上げた。

実在の少女が辿った運命を物語として蘇らせた藤浪さんの作品にこめた思いに迫る。

同時に浪曲のもつ独特の表現方法を通し、日本語のもつリズムと言葉の美しさを伝える。

2005年6月20日 (月)

遥かなる沖ノ鳥島

文化放送 報道制作部 高橋 民夫

東京都小笠原村、沖ノ鳥島へは、港区の竹芝桟橋から「おがさわら丸」(6700トン)で、丸二昼夜、距離にして焼く1,750キロ。

位置としては台湾の中ほどにあたり、気温も29度位、サンゴ礁の中にある東小島に知事が上陸したのは平成17年5月20日の14時50分頃。

太陽の陽光をさえぎるものは何もない中、石原知事は中国を意識した言動を表しましたが、当番組ではあくまでも沖ノ鳥島での今後の経済活動に関する可能性や期待などを取材しました。

往復4昼夜の船旅での取材は少々辛いものがありましたが、一生のうち2度と経験できないと思われる貴重な取材体験でした。

2005年6月13日 (月)

わっ!! しゃべった

熊本放送 ラジオ編成制作部 高野 泰宏

水俣市の「湯の児スペイン村福田農場」に今年4月、声の出るポストができました。声の出るポストがあるのは九州では長崎市役所前とここ福田農場だけです。

このポストは水俣市深川地区にあった円柱型のレトロなポストを移設したものです。水俣市では地域おこしのキーワードに「古いものに戻ろう」というものがありました。

まず、ポストが設置された理由ですが、福田農場では、エコはがき体験を実地しており、体験者から「ここでつくったはがきを手紙として出したい」という要望があったのが一つの理由です。

また、福田農場の福田社長から「最近、Eーメールが全盛の中、古くて温かみのある手紙のほうがいいのでは」という意見があったのも理由です。

では、なぜ声が出るものになったかといいますと、ポストという改造に規制があるもので、可能な面白い仕掛けは声を出すというものだったのです。

このポストはボタンを押すと「ありがとう。おくりまーす」など2~3種類の声を出します。声を出るようにしたのは、地元、水俣工業の機械科の生徒でした。

これは福田社長が勉強の一環として、依頼したものです。現在はボイスレコーダーとスピーカーを取り付けたものですが、現在ソーラーセンサーで声が出るように研究開発中ということです。

また、水俣工業の生徒は廃材を使って、このポスト用の看板を作っています。このポストを見た観光客はどんな反応でしょうか?

地域住民の協力で誕生した、声の出るポストは地域おこしのシンボルとなっていくのでしょう。

なお、このポストには「夢のあるポスト」という名前が付けられています。これは福田社長が「水俣での感動を広く伝えてもらおうという意味を込めたものです。

2005年6月 6日 (月)

飛べ! 巨大ラジコン

高知放送 報道センター 福田 耕

高知県・四万十川で開かれたラジコン大会に人が乗れそうな程の巨大なラジコン飛行機が登場した。

実は、この飛行機を作った山崎卓さん(当時82才)は、この飛行機が飛ぶ姿を見ることなく去年の暮れに他界した。山崎さんの遺志を継ごうとラジコン仲間が立ち上がり、今年、再びラジコン大会に挑んだ。

去年、テレビの取材で知り合った山崎卓さん、80才を過ぎているのにも関わらず、少年のような笑顔でラジコンに興じていた。

山崎さんの人柄と巨大なラジコンに興味をひかれ取材を続けていたが、突然亡くなったという知らせが…。ラジコン仲間が山崎さんの飛行機を飛ばすという話を聞き、我々としても、山崎さんの追悼という意味も含めて、もう一度企画を作りたいと思いました。

半世紀以上の歴史を持つ録音構成番組。全国の放送局がその土地ならではの風俗をそこでしか聞くことのできない音とともに紹介します。

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