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2019年2月12日 (火)

ハワイアンミュージシャンが山形弁シンガーになった理由(わけ)

2019年2月11日~2019年2月17日放送 
山形放送 報道制作局制作部 新野 陽祐

【番組概要】
将棋駒の生産で有名な山形県天童市に生まれ育ったミュージシャン山口岩男さん(55)。自分の世界を広げたいと、大学進学と同時に上京し、8年後の1989年念願のメジャーデビューを果たしました。ヒット曲には恵まれなかったものの、30代前半に知人の勧めで出会ったハワイアンミュージックのウクレレと出会います。順調な仕事、結婚もして家庭を持ちます。順風満帆に見えた人生。しかし、人生の転機が訪れます。山口さん38歳の時、4歳年下の弟がなくなったのです。最愛の弟を失った悲しみで多量のアルコール摂取する日々。そして、アルコール依存、うつ病、家庭崩壊、そして自殺未遂・・・。うつ病は約12年間続きました。その間、「自分とは何か」「生きる意味とは何か」を自問自答し続けてきました。そしていま、50を過ぎて見つけた自分のアイデンティティ。それは生まれ育った故郷・山形に生まれたこそできるアーティストとしての表現。2018年8月に山形弁シンガーととしてCDデビューを果たしました。ふるさとへの想いと、人生はやり直せるという山口岩男さんのメッセージ性が聞く人の胸を打ちます。

【制作意図】
去年、弊社に1枚のCDが届きました。「かえずのながさはえずばへっで」(標準語で「これの中にそれを入れて」という意味)というなんとも奇妙なタイトル。実際に曲を聞くと・・・思わず笑ってしまうような、けれどその心地よいビートとかっこいいワードの山形弁ソング!?しかも、山形弁のエッセンスを加えただけの曲ではなく、ネイティブ山形人でも、おそらく20代は80%近く聞き取れない方言全開の歌詞。新しいし、斬新過ぎるとすぐ興味が沸いてきました。取材を進めると、山口さんは驚くような波乱万丈な半生を歩んでいました。にも関わらず、いま人生を楽しんでいるという充実感のあるオーラを山口さんの言葉と背中から感じたのです。山口さんの方言ソングを通じて、今みなさんが住んでいる地域の良さを再発見してもらえるきっかけになればと感じるとともに、悩んでいる人や人生はやり直せるということを再確認してもらいたいなと思っています。そして、いまはネット社会で多いとされる「他者叩き」。人生を誤った人への過剰な反応、自分の正義感を振りかざし必要以上に他者を攻撃するような不寛容社会への警鐘にもなればと思っています。


【制作後記】
私が初めて山口岩男さんにお会いしたのは2018年秋。取材ではなく、弊社の「ラジオフェスタ」というイベントにゲストでお越し頂いた時でした。山口さんにゲスト出演を依頼した時、歌ってもらうだけでなく、「イベントが開催される6時間の間にMCや出演者、それにリスナーと一緒に合唱できるようなエンディングソングを即興で作ってほしい」と電話で依頼していました。そのイベントのエンディング・・・YBC1階ロビーに集まった300人ほどのリスナーと出演者全員が大団円!ステージ袖でディレクターをしていた私は泣きそうになりました。実はそれが「さすけねぇ」(標準語で「気にするな」という意味)という曲なんです。山口さんの行動力、人を惹きつける魅力、そしてやさしさが番組を通じて感じ取って頂ければと思います。

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半世紀以上の歴史を持つ録音構成番組。全国の放送局がその土地ならではの風俗をそこでしか聞くことのできない音とともに紹介します。

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