番組紹介

 

 

火曜会60周年にあたり、人々の心に残るラジオドラマを制作しました。
番組名は「神田神保町 レコード屋のおかみさん」

 

東京は神田・神保町に1930年に創業した「レコードの歴史・文化の継承」をモットーとする
老舗レコード店「有限会社レコード社」があります。
創業以来、日本の音楽文化、レコード業界の栄枯盛衰、大正から昭和そして平成への
激動の歴史の音に、じっと耳を傾けてきました。
この店の社長・井東冨二子さんは1940年から店を手伝い始め、以後社長として、
店を守ってきました。

そんな井東さんが、2008年から連載してきたエッセイ「レコード屋のおかみさん65年」。

このエッセイをもとにしたラジオドラマをこの度制作いたします。
関東大震災を経て、のちの東京大空襲でも生き残った蓄音機の名器・クレデンザと共に迎える
敗戦後の一大レコードブーム、音楽喫茶の隆盛やジュークボックスの登場など、
音楽から見た、まごうことなき私たちの歴史を、語りは神田・神保町で生まれ育った
樹木希林さん、解説:亀渕昭信さんでお送りいたします。

 

Personality

 

 

フリーペーパー 本の街

 



おかみさんがエッセイを連載していた
神田・御茶ノ水・九段の月刊文化情報誌「本の街」


 

 

Midashi03

 

 

1925年にアメリカビクター社から発売された名器の誉れ高い蓄音機・クレデンザ。
レコード社の大切なお客様であり銭形平次の原作者として有名な野村胡堂さんの遺品で、
レコード社の兄弟会社「富士レコード」に今も大事にされ、定期的に
コンサートが開催されています。野村胡堂さんは「野村あらえびす」という名前で
音楽評論家としても有名な方でした。

(大きさは縦115cm、横80cm、奥行き55cm)

番組ではクレデンザから響く戦前から戦後までレコードの魅力溢れる音を
堪能していただきます。


レコード屋のおかみさん 年譜

1877年(明治10年) エジソンがレコードを発明する。

1923年(大正12年) 7月、井東の長女として冨二子生まれる。

1923年(大正12年) 関東大震災後に、冨二子の父井東岸郎が、夜店で
クラッシックのSPレコードを販売。

1930年(昭和5年) 伯母の能登もとが、レコード社を神保町に創業

1932年(昭和7年) 箏曲家宮城道雄が、来日したバイオリニスト、ルネ・
シュメールと共演のSPレコード 邦楽と洋楽の出会い

1940年(昭和15年) 冨二子、女学校を卒業後レコード社に入社。

1941年(昭和16年) 12月太平洋戦争始まる。
レコード社は一日も休まずに営業。疎開のためにレコードを売る人が増える。

1945年(昭和20年) 3月9日、東京大空襲

1945年(昭和20年) 敗戦

1945年(昭和20年) 秋、冨二子はレコード社の二番番頭松井譲と結婚。
レコード売れに売れる。新潮社の斉藤十一、昼休みに来店。

1946年(昭和21年) 新円切り替え、

1947年(昭和22年) 夫、肺結核で3年間入院。

1948年(昭和23年) アメリカからLP盤が輸入される。

1949年(昭和24年) 有限会社「レコード社」として発足
輸入盤、新品レコード、中古レコードの三本柱。 作家の五味康祐、壇一雄ら来店。

1951年(昭和26年) コロンビアが初の日本盤LPを2800円で発売。

1954年(昭和29年) 神保町にクラシック喫茶「らんぶる」開店

1963年(昭和38年) 冨二子がレコード社の社長を引き継ぐ
現在の本店ビルに移転

1964年(昭和39年) 神保町にモダンジャズ喫茶「響」開店

1967年(昭和42年) GSブーム到来。「ブルー・シャトウ」売れに売れる

1968年(昭和43年) 銀座の日本楽器で初の出張販売会

1970年(昭和45年) 日本橋・三越本店で新春販売会
会社を出張販売中心のレコード社とSPレコード中心の富士レコード社に分離する。

1971年(昭和46年) 野村胡堂愛用の、手巻き蓄音機クレデンザを譲り受ける

2012年(平成24年) 12月、冨二子脳内出血で入院


2013年(平成25年) 2月冨二子退院



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